国際持続可能開発研究所(IISD)は6月、フィリピン下院に提出された炭素価格法案6件とカーボンクレジットの権利関係を定める法案1件を分析した報告書を公表した。対象は第20回議会に提出されたHB2055、HB2481、HB3685、HB3820、HB6407、HB6890、およびHB1817の7法案である。
HB2055、HB3685、HB3820は同一の制度設計を採る3法案で、幅広い経済セクターを対象に炭素価格を一斉適用する内容である。IISDはこの点を、日本のGX-ETSや中国、インドネシア、カザフスタンの排出量取引制度(ETS)が発電部門など一部からスタートし、その後対象を拡大してきた経緯と対照させる。EU ETSや英国ETS、ベトナムのETS試行段階も、発電、セメント、鉄鋼といった一部業種に限定して始まった例として挙げられている。
対象企業の規模についても、法案は「大企業・中堅企業」という表現に留まり、具体的な排出量の閾値を定めていない。カナダでは州ごとに、年間排出量10,000トンから100,000トン(CO2e)を基準に対象を絞り込んでおり、IISDはこうした定量的な閾値の設定が遵守コストを負担能力のある企業に限定する効果を持つと指摘する。
HB2055、HB3685、HB3820はまた、気候変動委員会(CCC)が原単位ベースの排出上限に加え、企業から提出される脱炭素化計画を集約したデータを排出枠の配分に用いる仕組みを提案している。企業の将来計画をアロケーションの根拠とする手法は既存のETSでは一般的ではなく、多くの制度は実際の排出実績データに基づいて配分を決定している。EU ETSも排出量上位2割の企業に脱炭素化計画の提出を義務付けているが、これは戦略的なモニタリング目的であり、排出枠配分には用いられていない。
ただし、IISDはこの設計に二つの懸念を示す。
一つはCCCによる計画の審査と集約に伴う行政負担であり、対象企業数の多さを踏まえるとコストが膨らむ可能性がある。もう一つは、企業が野心度の低い計画を提出することでアロケーションに影響を与えうる構造であり、集約した結果としてセクター全体の脱炭素化経路が想定より緩やかになるリスクである。
HB6407とHB6890は上記3法案を土台に、パリ協定6条やCORSIAとの接続を明確化し、金融機関を対象企業に含め、カーボンクレジットや排出枠の取引所得を全税目から免除する規定を加えている。IISDは全面的な税免除について、市場発展を後押しする一方で税収の減少や租税回避のリスクを伴うと評価し、対象を限定した優遇の検討を促す。
より従来型のキャップ&トレードに近いHB2481は、排出枠を無償配布から有償オークションへ移行する速度が速い点が特徴である。3年目に30%をオークションにかけ、10年目までに全量をオークション化する計画だが、韓国、中国、日本の制度はいずれもこれより緩やかな移行速度を採っており、アジア域内でこれに匹敵する前例はないとIISDは指摘する。
カーボン権利法(Carbon Rights Act of 2025、HB1817)は炭素価格そのものを定める法案ではなく、カーボンクレジットの所有、譲渡、便益分配に関する法的基盤を扱う。国内のコンプライアンスカーボンクレジット市場やオフセット制度が機能するには、この種の権利関係の整備が前提になるとIISDは位置づけている。
パリ協定6条に基づき海外に売却された削減成果は、フィリピン自身のNDCには算入されない。IISDは、コストの低い削減案件が国際取引に優先的に回され、国内対応にはコストの高い案件だけが残るリスクにも触れている。
今回の法案群は、フィリピンが炭素価格制度の法的基盤整備に本格的に着手した段階を示すものであり、東南アジア域内で進む制度整備の一環として位置づけられる。
ただし、セクターを一括適用する設計と、企業の自己申告する脱炭素化計画に依存した排出枠配分は、他国が段階的な導入や実績データに基づく配分によって時間をかけて回避してきたリスクと重なる。行政体制の整備が法制化のスピードに追いつけるかどうかは、今後の審議過程における論点となる。
参考:https://www.iisd.org/publications/report/carbon-pricing-philippines