岩石風化促進(ERW)の世界的な普及経路を、技術拡散の歴史的類推と人間-自然結合フィードバックを組み込んでモデル化した研究成果が、コミュニケーションズ・サステナビリティ(Communications Sustainability)誌に2026年2月16日付で公開された。
コーネル大学のチュアン・リャオ(Chuan Liao)氏らによる本研究は、2025年から2100年までのERW普及率を5kmグリッド解像度で空間明示的に予測した最初の試みであり、これまで「上限ポテンシャル」一辺倒だったERW評価の枠組みに、社会動学を組み込んだ新たな分析軸を提示する。
研究チームは、ERWのCDRポテンシャルを2050年に年0.35-0.76 Gt-CO2、2100年に年0.7-1.1 Gt-CO2、累積で34-55 Gt-CO2と推定した。シナリオ間で結果は大きく異なる。
モデル設計の中核は、歴史的類推と社会動学の統合にある。
研究チームは、Cross-country Historical Adoption Technology(CHAT)データセットに収録された灌漑・肥料・収穫機といった農業技術の過去の普及曲線を分析し、地域別の普及ラグと拡散カーブを抽出した。これを基に5つのシナリオ(ベースライン/上限引き上げ/早期開始/急成長/人間-自然結合)を構築している。
注目すべきは第5のシナリオ「人間-自然結合モデル」である。世界平均気温が1.8℃、2.1℃、2.4℃という温暖化閾値を超えるごとに、社会の危機認識が高まり政策対応が加速するという仮定を組み込み、ティッピングポイント通過後に普及率が段階的に跳ね上がる構造を持たせた。
表:5シナリオ別 ERWのCDRポテンシャル予測
| シナリオ | 前提条件 | 2050年 年間隔離速度 |
2100年 年間隔離速度 |
2100年 累積隔離量 |
|---|---|---|---|---|
| シナリオ0 ベースライン |
普及上限50% | 0.35 Gt-CO2 | 0.7 Gt-CO2 | 34 Gt-CO2 |
| シナリオ1 上限引き上げ |
普及上限75% | 中位 | 中位 | 中位 |
| シナリオ2 早期開始 |
展開タイミング前倒し | 中位 | 中位 | 中位 |
| シナリオ3 急成長 |
最大普及到達期間短縮 | 0.76 Gt-CO2 | 1.1 Gt-CO2 | 55 Gt-CO2 |
| シナリオ4 人間-自然結合 |
温暖化閾値で 段階的加速 (1.8/2.1/2.4℃) |
段階的加速 | 最大値に到達 | シナリオ3 と同水準 |
| 参考 25%上限 感度分析 |
下限保守シナリオ | 0.19 Gt-CO2 | 0.35 Gt-CO2 (2080年ピーク) |
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出典:Tu et al. (2026) Communications Sustainability に基づき編集部作成。シナリオ1・2の数値は本研究の中位レンジに該当。
地理的分布の予測結果はさらに示唆に富む。
初期(2030-2040年)は北米・欧州・東アジアが普及をリードするが、2050年前後にインドと南アジア、ブラジル、サブサハラアフリカが追い上げる。インドは2050年に年0.18 Gt-CO2の隔離速度に達し、2100年までに累積14.2 Gt-CO2と地域別最大の貢献となる見通しである。
図:地域別 普及ラグと2100年累積CO2隔離量
出典:Tu et al. (2026) Communications Sustainability の地域別データに基づき編集部作成。普及ラグは北米を基準とした初期展開の遅れ年数を示す。南アジアは13年遅れで開始しながら、2100年累積では地域別最大の14.2 Gt-CO2に到達する。
所得階層別のCDR分配では、高所得国のシェアが2040年の39-57%から2100年に12%未満まで低下する一方、低・低中所得国のシェアは20-29%から59-60%へ上昇する。研究チームはこれを「より公平な脱炭素経路」として位置づける。
図:所得階層別 累積CDRシェアの推移(2040年→2100年)
出典:Tu et al. (2026) Communications Sustainability Fig.5m-o に基づき編集部作成。高所得国シェアは39-57%(2040年)から12%未満(2100年)へ低下し、低・低中所得国シェアは20-29%から59-60%へ上昇する。
カーボンクレジット市場の文脈では、ERWは既に商業実装が先行している。
論文中ではマイクロソフトおよびストライプがERWプロジェクトに数百万ドル規模(数億円規模)のコミットメントを行っていることが言及されており、ボランタリーカーボンクレジット市場における除去系カーボンクレジットのポートフォリオ構築の一翼を担っている。
研究チームは、ERWの市場統合に向けた政策提言として、緑の気候基金(GCF)等を通じた低所得国への初期投資支援、ボランタリーカーボンクレジット市場へのERW標準化、MRV手法の確立、岩石粉砕・輸送インフラへの投資を挙げている。とりわけ、現状の隔離量推定が年間1ヘクタール当たり0.3-18トン-CO2と幅広く、投資家信頼の獲得には標準化が不可欠と指摘している。
一方で、論文自身も複数の不確実性を認めている。普及上限50-75%という設定は楽観的との指摘もあり、研究チームは感度分析として25%上限シナリオも実施した。この場合、2050年の隔離速度は年0.19 Gt-CO2、ピーク時の2080年でも年0.35 Gt-CO2にとどまり、上位シナリオの半分から3分の1の水準となる。また、本モデルはコスト動学を明示的にシミュレートしておらず、他のCDR選択肢との価格競争でERWが不利になるシナリオは反映されていない。
本研究は、ERW評価の枠組みを「ポテンシャル上限の推定」から「現実的な普及経路の予測」へと移行させる構造転換点として位置づけられる。普及シェアを内生変数として扱い、地域固有の拡散ラグと社会的ティッピングポイントを組み込んだ設計は、CDR技術評価のモデリング手法を実質的に刷新するものといえる。
ただし、論文モデルの精緻さと現場科学の進捗との間にはなお無視できない乖離が残る。
直近のスイス3年実証試験では予測を下回るドローダウンが観測され、商業展開のペースが現場検証に先行している実態が指摘されている。MRVの困難性、伝統的な石灰施用との追加性切り分け、玄武岩由来の重金属蓄積リスクといった論点は本研究の射程外であり、累積34-55 Gt-CO2という数値は地球化学的・気候的に妥当な「最大可能ポテンシャル」に近い枠組みで提示されていることに留意が必要である。世界全体で2℃目標達成に必要とされる累積450-800 Gt-CO2のCDRに対し、ERW単独でカバーできる範囲は補完的位置づけにとどまる点も、論文自身が明言している。