欧州連合(EU)のネット・ゼロ産業法(Net Zero Industry Act、NZIA)に基づき、石油・ガス生産者に課されたCO2貯留容量の整備義務が実効性を持つかどうかを追跡する独立監視プロジェクト「アーティクル23ウォッチ(Article 23 Watch)」が始動した。
カーボン・バランス・イニシアティブ(Carbon Balance Initiative)、クリーン・エア・タスク・フォース(Clean Air Task Force)、およびベローナ・ヨーロッパ(Bellona Europa)の3団体が共同で主導する。新興のCO2貯留市場における透明性・アカウンタビリティ・監視機能の強化を目的とする。
NZIAのアーティクル23(第23条)は、EU域内で操業する石油・ガス生産者に対し、CO2圧入容量の開発への貢献を義務付けた、同種の規制としては世界初の制度だ。EUは2030年までに年間5,000万トンのCO2圧入容量を確保するという法的拘束力を持つ目標を設定しており、対象企業44社は2020年から2023年にかけてのEU生産量シェアに比例した貢献が求められている。各社は2025年6月30日までに詳細計画の提出が義務付けられており、2026年6月からは年次進捗報告が始まる。
これは気候政策における重要な転換点を意味する。石油・ガスセクターに対してCO2貯留への積極的な関与を法制度として埋め込むことで、脱炭素化の責任主体として位置付けるものだ。ただし、制度の成否は加盟国をまたぐ強力な執行と透明な実施、そして分野横断的な調整にかかっている。
アーティクル23ウォッチが取り組む核心課題は、炭素回収・貯留(CCS)の展開における構造的なジレンマだ。貯留容量の確保が不確かな限り回収プロジェクトへの投資は停滞し、一方で貯留サイト開発者は将来需要の見通しが立たなければ投資判断を下せない――この「鶏と卵」の悪循環がCCSの普及を長年阻んできた。アーティクル23は生産者にバリューチェーン全体の調整役としての法的義務を明示的に課すことで、この連鎖を断ち切ることを目指している。
アーティクル23ウォッチは、公表データを基に各企業の法的義務と実際のプロジェクト進捗を照合し、両者のギャップを可視化する。政策立案者・産業界・市民社会を対象としたポリシーブリーフやステークホルダーワークショップを通じてエンゲージメントを深めるとともに、2030年以降に向けた「2030年対応」政策パッケージの策定も視野に入れている。
独立した試算は厳しい現実を示している。2030年目標に対して最大40%の未達が予測されており、期限内に稼働するCO2圧入容量は年間約2,850万トンにとどまる可能性があるという。背景には三つの構造的課題がある。
第一は開発リードタイムの長さだ。貯留サイトの整備には通常8年から10年を要するため、2030年の目標に算入されるには、プロジェクトがすでにライセンス取得済みかつ実質的に進行中でなければならない。第二は地理的偏在の問題だ。計画中の容量の大半が北海周辺に集中しており、他の排出集約地域では貯留先の選択肢が著しく限られる。第三は執行の一貫性への懸念だ。EUの法的義務が加盟国間で一貫して実施・強制される保証は現時点では不十分であり、抜け穴回避と長期的なアカウンタビリティの維持が問われている。
民間投資への依存度が高いCCS市場において、規制遵守の担保・抜け穴防止・長期アカウンタビリティの維持をいかに実現するかは、欧州のCO2貯留市場の信頼性を左右する根本的な問いだ。アーティクル23ウォッチの取り組みは、データ透明性と独立した第三者監視が機能的な市場の前提条件として定着しつつある潮流を体現している。欧州の脱炭素化戦略においてCCSの拡大が不可欠とみなされる中、こうした監視ツールの存在感は今後さらに増すと予想される。
EUのNZIAアーティクル23は、石油・ガス生産者にCCS市場形成への法的責務を課した前例のない制度であり、「貯留側」への義務付けという発想は日本の政策議論にも示唆を与える。日本では2024年成立のCCS事業法のもとで貯留事業の許可制度が動き出したが、回収プロジェクトと貯留インフラの「需給マッチング」における構造課題は欧州と本質的に共通している。アーティクル23ウォッチが構築するガバナンスモデル、公開データに基づく企業別義務の追跡と第三者可視化は、日本のCCS事業化プロセスにおける透明性設計の参照事例として注目に値する。