フィンランド天然資源研究所ルケ(Luke)と環境研究所シュケ(Syke)の共同研究チームが、寒帯商業林を対象に森林炭素支払いと生物多様性の関係を定量モデルで検証した結果を公表した。論文はCanadian Journal of Forest Research誌に2026年5月にオープンアクセスで掲載された。
核心メッセージは明快である。€15/トンCO2(約2,770円/トンCO2)の支払いはフィンランド全体の森林純吸収量を年20百万〜30百万トンCO2押し上げ、伐期延長・広葉樹増加・枯死木増加を通じて生態系状態を改善する。だがその改善幅は小〜中程度にとどまり、生物多様性損失を食い止めるには別建ての生物多様性政策が不可欠だと結論づけた。
本研究は熱帯林に集中してきた既往の生物多様性コベネフィット研究を、寒帯の商業林管理という新しい文脈で動的モデルに落とし込んだ点に意義がある。
研究チームはフィンランド森林・エネルギー政策モデル(FinFEP)を用い、2020年から2065年までを5年刻みで動的に解いた。€15/トンCO2の炭素価格を一定とし、参加範囲を「フルカバレッジ(義務)」「部分カバレッジ(自発、参加率68%)」「低カバレッジ(自発、参加率26%)」「政策なし(BAU)」の4ケースで比較した。
生物多様性指標には、フィンランドの生態学コミュニティが確立した生態系状態指数を採用した。林齢・枯死木量・広葉樹量・年間焼失面積の構造的要素を加重平均し、0(完全に劣化)から1(自然状態)の値域で表現する。
フルカバレッジ下では、純吸収量がBAU比で年20百万〜30百万トンCO2増加し、平均林齢は2065年までに約11年延長、広葉樹量は約13立方メートル/haの増加、枯死木量は約1立方メートル/haの増加を示した。生態系状態指数は0.16から0.20へ約0.04ポイント上昇する。
ただし指数の絶対値は依然として低い。BAUケースでも2020-2065年に0.14から0.17までしか改善せず、研究チームはこれを劣化からの脱却にはほど遠い水準と評している。
自発参加型の部分カバレッジでは、参加するのはアメニティを評価する所有者層(mild/strong Hartmanian、合計68%)に偏り、NPV最大化型のFaustmannian所有者(32%)は参加しない構造になる。
このとき、参加者の伐採減によって木材価格が上昇し、不参加のNPV最大化所有者が伐採を強める国内リーケージが発生する。集計レベルでの吸収量・生態系状態は依然プラスだが、フルカバレッジ比で効果は小さい。低カバレッジ(参加率26%)では生態系状態への正味効果はほぼゼロに収束する。
森林部門のリーケージ率は先行研究のメタ分析で平均約40%とされる。本研究は国内リーケージのみを扱い、輸入増や生産拠点移転を通じたトランスバウンダリー・リーケージ、すなわち他国森林の生物多様性への波及は範囲外としており、未解明の課題として残された。
研究チームが結論部で前面に出したのは、ティンバーゲン則、つまり政策目的の数だけ独立した政策手段が必要という古典的命題である。森林炭素支払いは炭素吸収という単一目的に最適化された制度であり、生物多様性損失の停止という別目的を同時に達成することは原理的に困難である、というのが研究チームの立場である。
低生産性サイトでは炭素支払いの生物多様性効果が極めて小さい、もしくは負となる場合もある。寒帯林の貧栄養サイトでは焼失面積が生物多様性の重要な構成要素だが、これは伐採行動から独立した変数であり、炭素価格では制御できない。生物多様性保護を炭素価格メカニズムに内包させることの構造的限界を示している。
研究チームはこの結論が近年EUが強調するDNSH原則との整合性は確保するものの、生物多様性保護そのものを気候政策に内包させることは別問題だと整理した。
寒帯林という設定の特殊性も無視できない。熱帯林の文脈で先行研究が示してきた森林カーボンクレジットの生物多様性コベネフィットは、熱帯林の絶滅危惧種密度の高さや、土地利用転換の阻止という強力な追加性に支えられている。商業林の伐期延長型である本研究の結論を、REDD+型の熱帯林プロジェクトにそのまま敷衍することはできない。
カーボン支払い単独でも一定の正味効果がある以上、生物多様性政策の完成を待たず先行実装すべきだという反論は当然成立する。研究チームも完全な統合を求めることが参加率を押し下げるリスクを否定しておらず、パイロット段階から徐々にカバレッジを拡大する漸進的アプローチを推奨している。
本研究の最大の含意は、ボランタリーカーボンクレジット市場でIFM系・REDD+系・NbS系のカーボンクレジットが生物多様性コベネフィットを価格プレミアムの源泉として訴求してきた構造への定量的な異議申し立てにある。€15/トンCO2という非ゼロの炭素価格と、フルカバレッジという最大限の制度設計を前提としても、生態系状態指数の改善幅は0.04ポイント、絶対値で見れば自然状態の20%水準にとどまる。コベネフィットが存在するか否かではなく、コベネフィットの規模が定量化されたとき、それが価格プレミアムを正当化するに足る水準なのかが問われる局面に入っている。
ティンバーゲン則に従えば、カーボンクレジットと生物多様性クレジットは原理的に分離して設計されるべきである。両者を一つのカーボンクレジットに包摂しようとすれば、いずれかの目的が犠牲になる。コアカーボン原則(CCPs)やCCB基準といったコベネフィット評価の枠組みも、コベネフィットを補助的属性ではなく独立した検証対象として扱う方向に進んでいるが、本研究の結論はその方向性が単なる手続き的厳格化ではなく、コベネフィットが本来カーボンクレジットの内部に統合できない性質のものであることを示唆している。