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「シーシュポスの警告」が示す非永続的CDRの本質 炭素除去政策の設計原理と企業実務への含意

2026.03.31 読了 約8分
「シーシュポスの警告」が示す非永続的CDRの本質 炭素除去政策の設計原理と企業実務への含意
出典:イメージ

永続しない除去は「ゼロカーボン」に貢献するのか

企業が自社のカーボンニュートラル戦略を策定する際、必ずといってよいほど直面するのが「植林クレジットは本当に有効なのか」という問いである。植林や土壌炭素貯留といった自然由来の炭素除去(CDR)は、確かに大気中のCO2を物理的に吸収する。しかし吸収された炭素は、山火事、伐採、土壌分解といった経路を経て、いずれ再び大気中に放出される。この「非永続性」という問題は、カーボンクレジットの信頼性を巡る議論の中心に位置し続けてきた。

2026年1月、ポツダム気候影響研究所(Potsdam Institute for Climate Impact Research)のマックス・フランクス氏らの研究チームが、この問いに対して経済学の観点から正面から向き合った査読論文を発表した。タイトルは「ピグーの助言とシーシュポスの警告:非永続的CDRを伴う炭素価格付け」。ギリシャ神話の巨石を山頂へ押し上げ続けるシーシュポスのメタファーが示すとおり、非永続的CDRは将来世代に「炭素債務」を永続的に課し続ける可能性があるという、鋭い警鐘を含む内容だ。

本稿では、この論文が提示する理論的知見を整理し、カーボンクレジットの実務と政策設計に何をもたらすかを論じる。

非永続的CDRは「コスト削減の道具」であって「目標達成の手段」ではない

論文の最も根本的な発見は、非永続的CDRが気候変動緩和の「移行コスト」を削減する機能は持つものの、最適な長期的気温水準には何ら影響を与えないという点にある。

直感的に言えば次のようになる。植林などの非永続的CDRは、一時的に大気中の炭素を吸収することで、社会が許容できる化石燃料の累積使用量を増加させる。言い換えれば、炭素除去が利用可能であることで、同じ気温目標に対して、より多くの排出を許容できる「緩衝材」として機能する。これはコスト面での恩恵である。しかしその吸収した炭素はいつか放出されるため、長期均衡における最適気温は非永続的CDRの存在や費用によって変化しない。この論点は、非永続的CDRへの過度な期待を戒める根拠として極めて重要だ。

さらに論文が示すもう一つの帰結は、非永続的CDRが定常状態(長期均衡)において純除去をもたらさないという事実である。貯留された炭素が放出され続ける限り、社会は放出された炭素を除去し続けなければならない。これがシーシュポスの比喩の核心だ。山頂に押し上げた石が転がり落ちるたびに再び押し上げなければならないように、非永続的CDRは「永続的な除去義務」という将来世代への負担を生み出す。

この知見は、企業のネットゼロ宣言において非永続的クレジットを残余排出量のオフセットとして活用する手法の限界を、理論的に裏付けるものといえる。

「炭素除去の社会的費用」という新たな評価指標

論文の理論的貢献のひとつが、炭素除去の社会的費用(Social Cost of Carbon Removal、以下SCCR)という新たな概念の定式化である。

従来の「炭素排出の社会的費用(Social Cost of Carbon Emissions、以下SCCE)」は、1トンの炭素を大気中に排出した際に生じる追加的な社会的被害を金額で表したものだ。これに対しSCCRは、非永続的貯留から将来にわたって放出される炭素が引き起こす追加的な社会的被害の現在価値を示す。すなわちSCCRは、「今除去して将来放出される炭素」の持つ時間的コストを定量化する指標である。

論文はさらに、適切な管理(ダイリジェンス)を維持するための時間的費用である時間的ダイリジェンス費用(Intertemporal Diligence Cost、以下IDC)という概念も導入している。これは、炭素貯留サイトを長期にわたって管理し、漏出率を最適水準に保つための継続的なコストを意味する。SCCRとIDCを合わせたものが、炭素除去の時間的費用(Intertemporal Cost of Carbon Removal、以下ICR)として定義される。

これらの概念は、実務においても示唆深い。現在のカーボンクレジット市場では、非永続的クレジットの割引評価にあたって「保証期間」や「バッファープール」などの実務的手法が用いられているが、論文が示すSCCRは、そうした割引の理論的根拠をより厳密に提供するものである。非永続的クレジットの価値は、単純な放出率と割引率の関数として表現でき、論文が示す試算では、半減期が短く割引率が高い場合には永続的CDRの補助金水準の数十分の一程度にまで低下しうる。

3つの政策設計と、それぞれのトレードオフ

論文は、非永続的CDRを経済的に最適化するための3つの政策レジームを提示し、それぞれの情報要件、インセンティブ構造、財政的含意を比較検討している。

第一の「下流型価格付け(Downstream Pricing)」は、除去フローへの補助金と放出フローへの課税を組み合わせる手法である。排出・除去・放出のすべての炭素フローに統一的な炭素価格を適用するため、理論的には最も効率的だ。しかし、放出炭素の量を継続的にモニタリングする必要があり、特に森林や農業系のプロジェクトでは実務上のコストが大きい。また、企業が破産した場合に放出炭素への課税が不可能となる「判断不能問題(judgment-proof problem)」、すなわち道義的ハザードのリスクも存在する。

第二の「上流型価格付け(Upstream Pricing)」は、放出炭素への課税を省略する代わりに、除去に対する補助金をSCCRに基づいて引き下げる手法だ。一見すると情報要件が低いように見えるが、最適な放出率を設定・執行するためには結局のところ放出フローの監視が必要となり、情報要件において下流型と実質的に差がなくなる場合がある。ダイリジェンスに対する追加的なコマンド・アンド・コントロール規制が必要となる点も課題だ。

第三の「貯留量補助金(Stock Subsidy)」は、貯留されている炭素ストックそのものに補助金を支払う手法である。規制当局が必要とする情報は原則として炭素ストックの量のみであり、炭素フローの監視が不要である点が最大の利点だ。また、ダイリジェンスに対するインセンティブも自然に内包される。ただし、初期のストックがゼロに近い段階では企業のキャッシュフローが赤字になりやすく、資金調達の課題が生じる。加えて、自然炭素吸収源の所有者が意図的にベースラインを低く設定するために炭素を放出するといったレントシーキング行動を誘発しうることも指摘されている。

MRVと長期責任の確保が制度設計の核心

3つの政策レジームの比較が示す最も重要な含意は、いずれの手法においても監視・報告・検証(Monitoring, Reporting and Verification、以下MRV)の堅牢性が不可欠だという点である。MRVが機能しなければ、最適な除去量の決定も、補助金水準の設定も、道義的ハザードの防止も成立しない。

論文がとりわけ強調するのが、長期的な責任(ライアビリティ)の設計だ。企業が戦略的に倒産することで、将来の除去義務をコストとして認識せずに済む状況が生まれると、社会的費用を納税者に転嫁することになる。これに対処するための手法として、論文はCCSボンド(炭素貯留のために企業が政府から購入する債券の一形態)や炭素シェア(炭素の貯留を流通可能な資産に転換する仕組み)といったアプローチを参照しつつ、制度設計における財務的実行可能性の確保の重要性を指摘している。

「橋渡し技術」としての適切な活用

論文が導く実務的な結論は明快である。非永続的CDRは「移行期の橋渡し技術」として一定の意義を持つが、その価値は永続的CDRより低く評価されなければならない。そして、永続的CDRが普及するまでの期間においてこそ、非永続的CDRの展開は最大化される。

企業がこの知見から得るべき示唆は、大きく2点に整理できる。まず、非永続的クレジットを長期的なカーボンニュートラル戦略の中核に据えることは理論的に正当化されない。残余排出量のオフセットにあたっては、地中貯留型の直接空気回収(Direct Air Capture、DAC)やバイオエネルギー炭素回収・貯留(Bioenergy with Carbon Capture and Storage、BECCS)のような永続的技術が最終的な解となる。次に、現時点で非永続的クレジットを活用する場合は、プロジェクトのモニタリング体制と長期的な管理責任の所在が明確であることを確認することが不可欠だ。プロジェクト終了後も炭素が貯留されることを保証する制度的枠組みがなければ、そのクレジットの気候的完全性は担保されない。

カーボンクレジット市場の信頼性は、まさにこうした「見えない将来コスト」をどこまで適切に内部化できるかにかかっている。フランクス氏らの研究は、その設計原理をピグー経済学の古典的な論理に接続しながら、現代の気候政策に必要な枠組みを提示した点で、学術的にも実務的にも参照価値の高い成果といえる。

参考文献 Franks, M., Gruner, F., Kalkuhl, M., Lessmann, K. & Edenhofer, O. (2026). Pigou’s Advice and Sisyphus’ Warning: Carbon Pricing with Non-Permanent Carbon Dioxide Removal. Environmental and Resource Economics, 89, 11. https://doi.org/10.1007/s10640-025-01060-3

関連タグ CDR
カーボンクレジット.jp 編集部
カーボンクレジット.jp編集部|2023年末に当時日本初かつ唯一のカーボンクレジット専門情報メディアを立ち上げ。高度な専門性とわかりやすさを追求した翻訳力。