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シンガポール、炭素税オフセット枠の2026年度繰越を2年連続で許可 パリ協定6条市場の供給制約が常態化

2026.05.12 読了 約6分
シンガポール、炭素税オフセット枠の2026年度繰越を2年連続で許可 パリ協定6条市場の供給制約が常態化
出典:イメージ

シンガポール国家環境庁(National Environment Agency、NEA)および持続可能性・環境省(Ministry of Sustainability and the Environment、MSE)は2026年5月11日、国際カーボンクレジット(International Carbon Credit、ICC)枠組みに基づき、課税対象企業が2025年排出年度に消化できなかったオフセット枠を2026年排出年度に繰り越すことを認める移行措置を発表した。同様の繰越措置は2024年から2025年への繰越に続き、2年連続となる。

NEAは措置の背景として、シンガポールが11カ国と二国間枠組み協定(Implementation Agreement、以下IA)に署名済みであるにもかかわらず、適格ICCの組成には数年単位のリードタイムを要し、需要に対する供給が追いついていない実態を挙げる。加えて、業界全体での環境十全性ルールの厳格化と国際ルールの複雑化が、適格ユニットの流通をさらに遅らせていると説明した。

5%オフセット枠と換算係数25/45の意味

シンガポールの炭素税率はCO2 1トンあたりS$25(約3,090円、2024〜2025年)から、2026年以降はS$45(約5,570円)へと段階的に引き上げられる。ICC枠組みの下では、課税対象企業は税対象排出量の最大5%相当をICCで相殺できる。

NEAは繰越にあたり、税率の変動を反映する「換算係数(Credit Conversion Factor)」を25/45として適用する。すなわち、2025年に未消化となった枠の額面トン数に25/45を乗じた値が、2026年の追加枠として認められる仕組みである。

NEAが公表した計算例によれば、年間10万トンを排出する課税対象施設は毎年5,000トン分のICC利用枠を有する。2025年に1,000トンしか使わなかった場合、未消化分4,000トンに換算係数25/45を適用した2,222トン(端数切捨て)が2026年に繰り越される。これにより同施設の2026年のICC利用上限は5,000+2,222=7,222トンとなる。一方、2024年から2025年に繰り越された未消化枠は2026年への再繰越が認められず、期限切れとなる。

この換算係数の制度設計は、コンプライアンス市場における「カーボンクレジットの財政的価値は炭素税率に従属する」との命題を制度化したものと読み取れる。額面トン数ではなく税負担相殺効果を保存対象とする発想であり、コンプライアンス需要に立脚する制度設計上の一つの解と言える。ボランタリーカーボンクレジット市場における価格との乖離を、制度的に承認した点にも論点性がある。

11カ国IA署名後も解消されない構造的供給制約

シンガポールはアジアのカーボンサービス・トレーディングハブを目指し、6条二国間協定の締結で世界をリードしてきた。パプアニューギニア(Papua New Guinea、2023年12月)を皮切りに、ガーナ(Ghana)、ブータン(Bhutan)、ペルー(Peru)、チリ(Chile)、ルワンダ(Rwanda)、パラグアイ(Paraguay)、タイ、ベトナム、モンゴル、そして2026年4月30日署名のフィリピンを加えて11カ国に達する。

それでも適格ICCの調達は構造的な供給不足に直面している。背景には2つの要因がある。

第一に、IA署名から実際のITMO発行までのリードタイムが長い。プロジェクト承認プロセス、方法論の整備、ホスト国による対応調整(corresponding adjustment)の運用準備など、二国間枠組みの実装には数年単位の時間を要する。シンガポール政府はタイとの間でも2026年3月にようやく初の案件公募を開始した段階にあり、IA締結から実プロジェクトのクレジット発行まで明確なタイムラグが存在する。

第二に、シンガポールがICCに課す適格性基準が事実上の高い品質ハードルとして機能している。シンガポールは独自の7原則(二重計上なし、追加性、リアル、定量化・検証可能、永続性、無害、リーケージなし)を設定し、これに整合する国・プログラム・方法論を「適格性リスト」として個別承認する方式を採用する。承認済みプログラムはベラ(Verra)、ゴールドスタンダード(Gold Standard)、ACRCAR、ART/REDD+などに限定される。これら基準はCORSIAやICVCMコアカーボン原則(CCPs)と思想を共有しており、供給を絞る方向に作用する。

「品質要件こそが市場の信頼を担保する」

一方、業界主流派は供給制約を品質要件と切り離して論じる立場をとる。

ICVCMは「整合性の確保が長期的な需要創出の前提であり、緩めれば市場全体が縮小する」と一貫して主張しており、シンガポール政府もこの路線を踏襲している。供給不足は方法論承認の拡大、追加IAの締結、案件組成支援の強化で解決すべきとの見方は根強く、短期的なロールオーバー措置は制度の柔軟性を示すものであって構造的失敗の表れではない、との解釈も成り立つ。

JCMとGX-ETSの「希望的需給観測」を再考すべき局面

シンガポール事例が日本市場に投げかける示唆は重い。

日本の二国間クレジット制度(JCM)は2026年2月時点で31カ国と二国間文書に署名しており、量的にはシンガポールを上回る。しかし、政府が掲げる「2030年度までに累積約1億トンCO2の国際的な排出削減・吸収量」目標との対比で見れば、シンガポール同様の供給ボトルネックを抱える可能性は否定できない。

特に2026年度から本格稼働する義務的GX-ETS(第二フェーズ)では、年間排出量10万トン超の直接排出事業者に排出削減義務が課される。義務履行手段として超過削減枠とJCMクレジット・J-クレジット等の適格カーボンクレジットの活用が認められているが、義務化フェーズで実際の需要が顕在化した際、JCMクレジットの供給が間に合うかは制度設計の重大論点である。

シンガポールが11カ国のIA署名と高品質要件で先行したにもかかわらず2年連続の繰越措置に追い込まれた事実は、二国間枠組み型コンプライアンス市場における供給リスクが過小評価される傾向に対する、実証的な警鐘と捉えるべきである。

シンガポールの今回の措置は、品質要件の厳格化が自らの供給制約を生むという「自業自得」的構造を浮き彫りにした。同国はICC適格性基準とプログラム承認方式により事実上ICVCMコアカーボン原則と同水準の品質ハードルを課しており、これが先行者ゆえに供給の蛇口を最も狭めている。

日本のGX-ETS第二フェーズの設計者および参加企業は、JCMの累積1億トン目標と義務化フェーズでの実需要との間に生じうる需給ギャップを直視し、緊急時の弾力的措置(シンガポール型ロールオーバー、J-クレジット等の代替手段の拡大、適格方法論の前倒し承認)を制度設計と調達戦略に組み込むべき局面に来ている。

「品質か規模か」の二者択一を回避する本質的な打ち手は、IA締結から実発行までのリードタイム短縮そのものである。

参考:https://www.nea.gov.sg/media/news/news/index/carbon-tax-liable-companies-can-carry-forward-unutilised-carbon-credits-offset-quota-for-emissions-year-2025

カーボンクレジット.jp 編集部
カーボンクレジット.jp編集部|2023年末に当時日本初かつ唯一のカーボンクレジット専門情報メディアを立ち上げ。高度な専門性とわかりやすさを追求した翻訳力。