UAE鉄鋼大手のエムスティール(Emsteel)と産業ガス事業者のガルフクライオ(Gulf Cryo)は2026年5月、エムスティールの製造拠点にCCU(炭素回収・利用)統合バリューチェーンを構築する覚書(MoU)を締結したと発表した。署名は産業育成イベント「メイク・イット・イン・ジ・エミレーツ 2026」開催中に行われた。
覚書の主眼は、エムスティールの製鉄プロセスから排出されるCO2を発生源で回収し、ガルフクライオの保有技術で液化・転換のうえ産業用途に振り向ける点にある。下流の貯留(storage)も対象に含めるとされるが、回収規模・投資額・運転開始時期はいずれも未開示で、現時点では事業構想段階にとどまる。
ガルフクライオの事業開発・イノベーション統括本部長であるエリー・アダイミ(Elie Adaimy)は声明で、本件が産業の脱炭素を加速しリスクを低減するうえで鍵となると述べた。エムスティールは別途、アルダール・プロパティーズ(Aldar Properties)向けに水素還元鉄筋を年内初出荷したことも公表しており、水素還元路線とCCU路線を並行展開する構図となる。
今回の発表は、UAEで進行する炭素管理インフラ拡張の延長として理解するのが妥当である。ガルフクライオは2026年初に、RAKセラミックス(RAK Ceramics)との共同事業として湾岸地域初の高純度CO2回収施設をラアス・アル・ハイマで稼働させており、同施設は年間1万7,000トンのCO2を食品グレード製品向けに転換する設計とされる。
別系統では、エムスティールとアドノック(ADNOC)が運営するアル・レヤダ施設が湾岸鉄鋼セクター最大級のCO2回収プロジェクトとして稼働中で、年間最大80万トンのCO2を回収し油田に圧入している。今回のガルフクライオとの覚書は、これら既存事業と並行する第三系統として位置づけられる。
エムスティールはアドノックとの大規模CO2油田圧入、ガルフクライオとのCCU、水素還元鉄製造という3つの脱炭素経路を同時に走らせていることになる。MoU単独では独自性は限定的だが、UAE鉄鋼業界における経路の複線化という観点では意味を持つ動きである。
注目すべきは、湾岸産油国が炭素管理を単なる気候対応コストではなく、新たな産業競争力の源泉として位置づけ始めている点である。湾岸協力会議(GCC)は2030年までに再生可能エネルギーと関連インフラに約630億ドル(約9兆9,500億円)を投じる計画を示しており、CO2回収・転換・貯留はその一翼を担う。
UAEは石油・ガス事業で蓄積したパイプライン網・地下構造データ・貯留技術・産業ガスサプライチェーンを、そのままCCU/CCS事業のインフラ基盤として転用できる優位を持つ。アドノックがアル・レヤダで実現している油田圧入型CCSはその典型であり、今回のガルフクライオの参画は産業ガス事業の知見をCCU側に展開する動きと整合する。
これは単発の脱炭素プロジェクトの集積ではなく、湾岸産油国による炭素管理産業クラスター形成の文脈で読むべきものである。気候対応の名のもとに、化石燃料インフラを次世代産業へと再編成する戦略の一断面とみることができる。
エムスティール側のプレスリリースは、本件覚書の意義として変化するクロスボーダー炭素税制下での輸出ポジショニング強化を明示している。EUの国境炭素調整措置(CBAM)をはじめ、輸入品の炭素含有量に課金する制度が各国・各地域で順次導入される局面において、UAE鉄鋼の輸出競争力を維持するための先行投資という側面が強い。
鉄鋼はCBAMの本格課金対象セクターの一つであり、欧州市場向け輸出を確保するには製造工程のCO2排出量を実証可能な形で削減する必要がある。発生源回収はその実証性を担保する手段の一つとなる。
ただし、回収したCO2をどう処理するかによって、CBAM等の制度上の控除認定可否は分かれる可能性が高い。永続貯留(CCS)であれば算入余地があるが、食品グレード等のCCU用途では炭素が最終的に再放出されるため、規制上の正味削減量として認定されない設計も想定される。
本件はCCU主体の案件であり、大気からのCO2除去(CDR)とは独立した文脈で評価する必要がある。製品ライフサイクルでCO2が再放出される用途では、実質的な大気中炭素削減効果は限定的となるためである。
ガルフクライオがRAKセラミックスと先行展開している食品グレードCO2事業の構造に倣う形であれば、本件覚書の一部も同様の短期循環設計となる可能性が高い。一方、産業排出源回収インフラそのものは、用途設計次第で永続貯留や正味削減効果の向上基盤となりうる。
すなわち、本件をCCU・CCS・CDRのいずれに整理するかは、最終的にCO2の処理経路と用途設計に依存する。「鉄鋼の脱炭素」一語でくくることは過大評価のリスクをはらむ。
今回の覚書は単独で見れば独自性は限定的だが、湾岸産油国が炭素管理産業クラスター形成へと舵を切りつつある構造変化の一断面として読むのが本質である。石油・ガス事業で蓄積したインフラと技術を、CCU/CCS事業の競争優位として転用する戦略は、産油国に固有の脱炭素経路として一定の合理性を持つ。