2026年4月、日本の脱炭素政策に大きな転換点が訪れた。「脱炭素成長型経済構造への円滑な移行の推進に関する法律(GX推進法)」に基づく排出量取引制度(以下「GX-ETS」)が正式に始動したのである。
これは単なる制度の更新ではない。前身となるGXリーグにおける排出量取引は企業の任意参加を前提としていた。しかしGX-ETSは法律に根拠を持ち、要件を満たす事業者に対して参加を義務付ける。制度の性格が根本から変わったと理解しなければならない。
なぜ今、この転換が起きたのか。その背景には、国際的な炭素規制の急速な強化と、日本企業のサプライチェーン全体に及ぶ脱炭素プレッシャーの高まりがある。EU(欧州連合)の炭素国境調整メカニズム(CBAM)が本格稼働に向けて動く中、日本が法的拘束力を持つ国内炭素市場を整備することは、国際競争力の観点からも急務となっていた。
GX-ETSは、そうした文脈の中に正確に位置づけられる制度である。

GX-ETSの基本的な設計は、キャップ・アンド・トレード方式をベースとしている。

政府が制度対象者に対して排出枠(1トン単位)を無償で割り当て、制度対象事業者は毎年度、自らの排出実績量と同量の排出枠を期限までに口座に保有することが求められる。
排出枠が自社の排出実績を上回る場合、余剰分を市場で売却できる。逆に不足する場合は、排出枠取引市場等において排出枠を調達する必要がある。自社の削減努力が市場での経済的利益に直結し、排出削減への財務的インセンティブが明確に組み込まれた設計だ。
なお、排出枠の不足に対応しなかった場合、GX推進法に基づいてペナルティとして負担金の支払い義務が生じる。制度に参加すれば済む話ではなく、毎年度の義務を確実に履行しなければならない点を強調しておく。
運用面では、本制度の業務は経済産業省と脱炭素成長型経済構造移行推進機構(GX推進機構)が担う。制度対象者はERMS(Emission Reporting & Management System)と呼ばれる運用システムを通じて、届出や報告などの一連の手続きを行う。ERMSは2026年4月から運用が開始されている。
GX-ETSが対象とする事業者は、前年度までの直近3年度のCO2直接排出量の平均値(年度平均排出量)が10万トン以上の事業者である。
ここで注意すべき点がある。
本制度が対象とするのは「直接排出」、すなわちいわゆるScope1に相当するCO2のみである。
他社から供給された電気や熱、蒸気の使用に伴う間接排出(Scope2相当)は対象外であり、CO2以外のメタンなどの温室効果ガスも範囲に含まれない。排出実績量の算定においては、カーボンクレジットの無効化量やJCMクレジットの無効化量も加味される点は押さえておきたい。
判定の単位は事業者単位であり、子会社・関連会社は別事業者として個別に判定が行われる。ただし、事業者が密接関係者(子会社・関連会社等)と一体的にGX投資を行う場合には、密接関係者との共同届出が認められる。
また、判定は毎年度実施され、年度平均排出量が10万トンを上回れば制度対象となり、下回れば対象外となる。固定的な指定ではなく、毎年自ら確認する義務がある点は実務上の重要ポイントだ。
前身のGXリーグは、参加自体が任意であったため、準備が整わない企業や意欲のない企業は事実上制度の外に置かれていた。GX-ETSはそれを根本から変える。法律に基づく届出義務が生じるため、「自社が制度対象か否かを各事業者が毎年度自ら判定し、対象となる場合は所定の手続きを履行する」という構造になっている。
事務局側から対象事業者への指定・通知は行われない。自ら確認し、自ら行動する。この点を見落とした場合、GX推進法に基づく50万円以下の罰金が科されるリスクも存在する。
GX-ETSを単なる規制コストとして捉える視点は一面的だ。
排出削減に本気で取り組み、割り当てられた排出枠に余剰を生み出せる企業にとっては、炭素市場を通じた収益機会が生まれる。また、移行計画の策定・提出を通じて自社の脱炭素ロードマップを体系化することは、投資家や取引先への信頼性向上にもつながる。
本制度は2026年度が制度開始初年度であり、通常スケジュールとは異なる特例的な措置が適用されている。
次回のコラムでは、まず多くの企業が直面する「自社は制度対象か」という問いに答えるため、対象者判定の具体的なロジックを詳解する。

参考:https://www.meti.go.jp/policy/energy_environment/global_warming/ets.html