スイス・チューリッヒ拠点のクライムワークス(Climeworks)は2026年5月12日、HSBC元グループ最高サステナビリティ責任者のセリーヌ・ヘルワイヤー(Celine Herweijer)と、Microsoftのサステナビリティソリューション部門元ジェネラルマネージャーのマーク・クロース(Mark Kroese)の2名をアドバイザリーボードに招聘したと発表した。両名は商業戦略、顧客対応、市場優先順位の設定について同社を支援するとされる。
人事ニュースとして読み流せる発表だが、声明の言葉遣いは単純な経営強化策の範囲を超えている。クロースは就任にあたり「DACのリーダーは今や、包括的なCDRポートフォリオ・ソリューションのリーダーである」と述べ、ヘルワイヤーは「カーボン除去の次の段階は、大企業の組織内部で投資可能(investable)なソリューションによって規定される」と発言した。両者の発言を重ね合わせると、クライムワークスが DAC(直接空気回収)専業の技術ベンチャーから、自然由来・技術由来を横断する CDRポートフォリオ・プロバイダーへ事業の重心を移しつつあることが浮かび上がる。
招聘された2名の経歴は、技術側ではなく完全に需要側に偏っている。
ヘルワイヤーはコロンビア大学で気候モデリング・政策の博士号を取得し、PwCのグローバル・サステナビリティ・イノベーション・リーダーを経てHSBCのグループ経営委員会メンバーとして最高サステナビリティ責任者を務めた。現在はウィー・ミーン・ビジネス連合(We Mean Business Coalition)の副議長を兼ねる。コーポレートサステナビリティ戦略、サステナブルファイナンス、投資準備態勢に通じた人材である。
一方のクロースは、Microsoftサステナビリティソリューション部門のジェネラルマネージャーとして、テック大手のCDR調達ポートフォリオ構築を最前線で主導してきた人物である。Microsoftはクライムワークスの最初期のコーポレートバイヤーの一社であり、除去系カーボンクレジット市場の形成期から関与してきた。
「金融・大企業サステナビリティ」と「テック大手のCDR購買実務」という補完性のある2軸を、技術開発者ではなくバイヤー側の出身者で固めた人選は、クライムワークスが「より良いDACを作る企業」から「より説得力のある除去系カーボンクレジット・ポートフォリオを大企業バイヤーに売る企業」へと自己定義を書き換えつつあることを強く示唆する。
この動きを業界全体の文脈に置くと、より大きな構造変化が見えてくる。DAC業界はこの2年ほど、技術的な実現可能性の段階から、コスト低減と需要創出の段階へと議論の重心を移してきた。クライムワークス自身、2024年に大規模な人員削減を経験し、純粋な技術企業としての成長モデルの限界に直面した経緯がある。
需要側に目を転じれば、Microsoft、Google、Frontierコンソーシアムをはじめとするテック大手のオフテイク契約が、現時点のDACおよび除去系カーボンクレジット市場の事実上の購買力中枢を形成している。クライムワークス自身も2025年にNTTデータと大型のカーボン除去契約を締結しており、需要側プレーヤーがどう動くかが事業継続性を左右する構造になっている。
この環境下で、DAC専業を貫くより、自然由来のカーボン除去や生物起源炭素除去・貯留(BiCRS)等を組み合わせたポートフォリオを提供する方が、コーポレートバイヤーのリスク許容度・予算・調達ガバナンスに整合的である。
クライムワークスの公式説明にも「自然由来およびエンジニアド(技術由来)ソリューションの組み合わせ」という表現が定着しており、同社はすでにポートフォリオ提供者としての公式ポジショニングを採用している。今回の人事は、その路線をボード階層で内部的にも対外的にも確定させる手続きと読める。
一方で、この戦略転換には批判的な見方も成立する。
除去系カーボンクレジット市場では、自然由来と技術由来は永続性・追加性・MRVの厳格性において質的に異なるという立場が根強く、両者を同一ポートフォリオに束ねて販売することは「品質のならし」につながりかねないとの指摘がある。ク
ライムワークスがDAC専業時代に築いた「高永続性CDRの代名詞」というブランドが、ポートフォリオ化によって希薄化するリスクは無視できない。需要側人材の起用は、技術コスト課題からの転回というよりも、コスト課題を巧みに包装し直すマーケティング上の対応にとどまるのではないか、という疑念も呼ぶ。
需要側人材の本格的投入によってクライムワークスが「DACのリーディングカンパニー」から「CDR調達ソリューション企業」へと自己規定を書き換えつつあるのは、業界全体の重心が技術側から需要側へと移動していることの最も鮮明な象徴である。
日本市場の文脈に引き寄せれば、日系テック大手・金融機関・総合商社といったCDR調達の主要プレーヤーは、もはやDAC1技術の評価ではなく、複数CDR種別を組み合わせたポートフォリオの設計・調達ガバナンス・将来の投資可能性(investability)を評価する局面に入っている。
クライムワークスの動きを単独の人事ニュースとして処理せず、自社のCDR調達戦略を「単発購入」から「ポートフォリオ運用」へ更新する好機として捉えるべき局面である。
参考:https://climeworks.com/press-release/climeworks-appoints-senior-advisors-to-accelerate-market-growth