国際炭素行動パートナーシップ(International Carbon Action Partnership、ICAP)が公表した「Emissions Trading Worldwide: ICAP Status Report 2026」によれば、2026年2月時点で世界全体で41の排出量取引制度(ETS)が稼働中であり、これらの制度を導入する管轄区域の経済規模は世界のGDPの63%に達した。
世界の温室効果ガス排出量に占めるカバー率は約26%に及ぶ。地政学的緊張やエネルギー価格の変動下にあっても、排出量取引制度はかつてない速度で拡大しており、コンプライアンスカーボンクレジット市場の中核インフラとして定着しつつある。
ICAP報告書が示す2026年初頭時点の主要指標は以下の通りである。
第一に、稼働中のETS数は41件に達し、G20諸国のうち14ヶ国が導入済みとなった。
第二に、これらの制度のカバー対象は世界の温室効果ガス排出量の約26%に及ぶ。
第三に、2025年に各ETSが計上した政府収入は約800億ドル(約12兆円、1ドル=150円換算)に達し、クリーンエネルギー投資や家計支援に充当されている。
第四に、新規導入を検討中または準備段階にある管轄区域が16存在する。
ここで重要な区別が必要である。ICAPの「63%」はETS導入経済圏のみを対象としているのに対し、世界銀行が2025年6月に公表した「State and Trends of Carbon Pricing 2025」では、ETSと炭素税の双方を含めた直接カーボンプライシング適用経済圏は世界GDPの約3分の2、世界排出量の約28%をカバーするとされていた。両報告書は集計対象が異なるが、いずれも直接カーボンプライシングが主要経済圏の標準装備となりつつあることを示している。
ICAP報告書は、2026年中に新たに3つの国家規模ETSが稼働開始すると指摘している。
日本のGX-ETSは2026年度から本格稼働期に入り、有償オークションが導入される。これまでの試行期間を経て、年間排出量10万トン以上の事業者を対象とする義務的制度へと移行する。
インドのCarbon Credit Trading Scheme(CCTS)は、エネルギー集約型9セクターを対象としたレートベース型ETSであり、排出原単位ベンチマークを下回る企業にカーボンクレジット証書が発行される設計となっている。
ベトナムは当初2025年から2026年にかけて準備されたパイロットフェーズを通じてCBAM対象セクターを優先的にカバーする方針を打ち出している。
レートベース型ETSの採用拡大は、本報告書が強調する設計トレンドである。総量キャップを設けず、生産単位あたりの排出原単位ベンチマークを設定するこの方式は、経済成長下での競争力配慮と排出抑制を両立させる手法として、中国、オーストラリア、インドネシア、インド、トルコなどで採用されている。一方で、絶対的な排出削減量の確実性が低く、政府の歳入を直接生まないという制度的トレードオフを内包する。
主要既存ETSにおいても重要な動きが続いている。
中国全国ETSについては、2026年中に鉄鋼・セメント・アルミニウムへの拡大が完全に履行されることに加え、ICAPは2027年までに絶対量ベースの排出量キャップへ移行する方向で準備が進んでいると指摘している。これは現行のレートベース方式から、より厳格な総量規制への大転換を意味する。EU ETSについては、運輸・建物セクターを対象とするEU ETS2が2027年に本格稼働する。韓国ETSではオークション比率の拡大と新たな市場安定化措置が導入された。カリフォルニアキャップアンドトレードは2045年までの制度延長が確定しており、長期投資シグナルが強化されている。
排出量取引制度の拡大は、カーボンクレジット市場にとって需要面の構造変化をもたらす。世界銀行報告書によれば、2024年時点で全ETSの約3分の2、炭素税の約20%が、適格なカーボンクレジットをコンプライアンス充当手段として認めている。コロンビアの炭素税(最大50%まで)、チリ、シンガポール、韓国、南アフリカなどがその代表例である。
特に注目すべきは炭素除去(CDR)クレジットへのプレミアム形成である。
世界銀行データによれば、2024年に自然由来の炭素除去カーボンクレジットの取引価格はカテゴリー平均15.5ドル/トン前後と、回避系の倍以上の水準で推移した。EU ETSや英国ETSへの除去系カーボンクレジット統合に向けた検討も継続している。CORSIA第1フェーズでは適格カーボンクレジットが20ドル/トン超で取引され、パリ協定6条2項に基づくITMOはスイスやシンガポールが30ドル/トン超で調達している。
ETS拡大とCDR需要の連結は、規制市場が高品質除去系クレジットの主要な買い手として浮上する可能性を示唆する。技術由来CDR(DAC、BECCSなど)と自然由来CDR(植林、岩石風化促進、ブルーカーボンなど)のいずれも、コンプライアンス需要が定着すれば長期オフテイク契約の経済的合理性が高まる。
参考:https://www.worldbank.org/en/publication/state-and-trends-of-carbon-pricing