マーシュ(Marsh)のファイナンシャル・プロフェッショナル・ライアビリティ部門が運営するポッドキャスト「Powered by Marsh FINPRO」の第12回では、同社カーボンクレジット・センター・オブ・エクセレンス(Carbon Credit Center of Excellence)のメンバーであるラーラ・ウィットモア(Lara Whitmore)、アレックス・フィリップス(Alex Phillips)、マウリシオ・マンリケ(Mauricio Manrique)の3氏が登壇し、急拡大するカーボンクレジット市場のリスク構造と保険が果たす役割について詳述した
ウィットモアはまず、カーボンクレジットが取引される二つの市場を整理した。
コンプライアンスカーボンクレジット市場は鉄鋼・石油精製・発電など排出量の多い産業を対象に国・地域レベルで規制され、カーボンプライシングの実現を通じて排出抑制のインセンティブを与える。一方、ボランタリーカーボンクレジット市場は義務なく企業が自らのネットゼロ目標達成に向けてカーボンクレジットを購入・投資するプロジェクト型市場であり、今回の議論の中心はこちらに置かれた。
市場規模に関しては、2025年の取引総額が約24億ドル(約3,792億円)に達するとの推計が示された。
2024年の同20億ドル(約3,160億円)から増加し、2023年の27億ドル(約4,266億円)と比較してもおおむね回復・安定軌道にある。長期予測では2050年までに1兆ドル(約158兆円)規模に成長するとのシナリオも示されており、同市場向け保険の元受保険料(グロス・ライテン・プレミアム)だけでも2030年までに10億ドル(約1,580億円)超に達する見込みとウィットモアは指摘した。
かつてカーボンクレジットの主な購入者は、Scope1,2,3排出量を補完するカーボンオフセットとして活用する一般事業会社が中心だった。しかし今やメガバンクや機関投資家が長期オフテイク契約(長期購入契約)を担保に数億ドル(数百億円)規模の与信枠を組成するなど、CDRプロジェクトを商業資産として評価・ファイナンスする動きが加速している。
ウィットモアは「炭素除去(CDR)プロジェクトに対する資本の流入が早まっているのは、ネットゼロ期限が近づくにつれてカーボンクレジット価格が上昇し続けるとの期待があるからだ」と分析する。
特に高品質なカーボンクレジットの供給が逼迫するなかで、先行投資によって将来の価格上昇益を取り込み、同時に自社ポートフォリオ向けに低コストでカーボンクレジットを確保するという二重の動機が投資家・貸し手を引き付けている。
ポストCOVID期に相次いだ方法論の不備や不正問題がボランタリーカーボンクレジット市場を直撃し、市場は大きく揺らいだ。この教訓を受け、現在は「VCM 2.0」と呼ばれる品質重視の新フェーズに移行しつつある。
その中核を担うのが、ICVCMが策定したコアカーボン原則(CCPs)だ。CCPsに準拠したカーボンクレジットの購入量は2025年に前年比300%増を記録し、質の証明として市場に急速に浸透している。
またSBTiは「排出削減のみでなく残余排出のカーボンオフセットも並行して取り組むこと」を企業に求めており、カーボンクレジット市場への需要を制度面から下支えしている。
測定・報告・検証(MRV)やレジストリ(登録簿)の標準化もなお発展途上にあるが、ウィットモアは「一年前と比べても、インテグリティをめぐる議論の質は格段に向上した」と評価する。
フィリップスは、既存の政治リスク保険・財物損害保険・自然災害保険では、カーボンクレジット特有のリスクをカバーしきれない点を強調した。具体的なリスクは大きく二つに分類される。
第一はプロジェクト開発段階のリスクだ。森林再生プロジェクトを例にとれば、山火事や病害によって固定されていた炭素が大気中に再放出されると、予定していたカーボンクレジットの発行量が減少(アンダーデリバリー)あるいは全量消滅(ノンデリバリー)する。このような永続性の喪失や、プロジェクト運営主体の破綻・撤退なども開発側の主要リスクとなる。
第二はオフテイカー(購入者)側のリスクだ。すでにリタイアメント(使用済み処理)済みのカーボンクレジットであっても、事後的な方法論の誤り・ダブルカウント・不正が発覚した場合、レジストリ(登録簿)レベルで無効化されるリスクがある。このケースでは購入者は改めてカーボンクレジットを購入し、オフセット実績を作り直す必要が生じる。
ウィットモアは「これらのリスクは物理的プロセスから無形の取引資産への変容過程に内在しており、保険がその橋渡しになれる」と述べた。
フィリップスによると、保険商品は主にデリバリー保険(発行側リスク担保)とキャンセレーション保険(購入側リスク担保)の二種類に分かれる。保険の付帯によってカーボンクレジットの信頼性が高まり、プレミアム価格での取引が可能になるため、開発側にとっては銀行融資の担保としても機能する。実際、「保険付きプロジェクトからのカーボンクレジットに割増価格を支払うバイヤーが現れている」とフィリップスは指摘する。
CORSIAの2026年強制適用開始も重要な需要創出要因だ。
航空会社はCORSIA適格のカーボンクレジットを義務的に購入しなければならず、格付け機関の審査を経た保険性の高いカーボンクレジットへの需要が急伸すると見られている。フィリップスは「CORSIAのような制度的な枠組みは引受審査を大幅に標準化し、保険市場にとっても参入しやすい環境をつくる」と述べた。
カーボンクレジットへの投資額は2024年の約20億ドル(約3,160億円)から2025年には約100億ドル(約1兆5,800億円)へと急増しており、2026年以降もその勢いは続く見込みだ。
マンリケは、カーボンクレジット保険市場が2030年までに元受保険料10億ドル(約1,580億円)を達成するためには三つの条件が必要だと整理した。
第一は需要の継続的拡大、開発者・貸し手・オフテイカーのリスク認識が高まり、保険移転が業界標準になること。
第二は引受キャパシティの拡大、現在7,000万ドル(約110億円)程度にとどまる市場規模を大幅に引き上げ、大型案件にも対応できる体制を整えること。第三は保険商品の進化:現在の単年または短期更新型の保険をプロジェクトライフサイクル全体をカバーする多年度型に移行させ、保険文言の標準化を進めること。
また市場全体のスケール化に向けては「プロジェクト品質の向上、MRV・レジストリ(登録簿)の標準化、そして規制の明確化」の三点が鍵となるとマンリケは強調した。これらが実現すれば金利低下・保険料低廉化が進み、カーボンクレジット保険はニッチ商品からネットゼロ金融の基幹インフラへと昇格すると展望している。
カーボンクレジット保険を「プロジェクトファイナンスの標準装備」として位置づける欧米の潮流は、日本の気候ファイナンス市場にも近く波及しよう。