はじめに
本記事は、国際開発と気候変動ファイナンスの視点から、炭素除去・クレジット市場において重要な役割を果たすレジストリである「Isometric(アイソメトリック)」を取り上げます。市場の信頼性(Integrity)、途上国への影響、公正な移行(Just Transition)、資金動員(Finance Mobilisation)という観点から、なぜIsometricが注目されるのか、どのように機能しているのかを解説します。
用語の定義
一言で言うと:
Isometricとは、「高品質な炭素除去(Carbon Dioxide Removal, CDR)クレジットを発行・登録するための独立レジストリおよび認証プログラム」です。
基本説明:
Isometricは、2022年に設立され、主に大気から除去されたCO₂(またはそれに準ずる温室効果ガス)の「確実な除去・貯留」を前提としたクレジットを、科学的に厳格な基準に基づいて発行・追跡するレジストリ機関です。
従来の「回避系(emission avoidance)」クレジットと異なり、「除去・貯留(removal and storage)」を重視しており、またトレーサビリティ、透明性、追加性(Additionality)、二重計上防止(No Double Counting)などのガバナンス要件を設けています。
その意味で、気候変動ファイナンス・カーボン市場において、信頼できるインフラを提供する役割を担っています。
重要性の解説
背景・目的
地球温暖化を1.5℃未満に抑えるためには、排出削減だけでなく、 大規模かつ信頼性の高い除去(CDR) が不可欠です。 途上国・先進国を問わず、公共・民間からの資金動員が求められており、そのためには「発行されたクレジットが本当に除去されたトン数を反映している」ことを示す信頼できる仕組みが必要です。
Isometricは、このニーズに応えるべく、従来のカーボンクレジット市場で指摘されてきた「過剰発行」「透明性欠如」「二重計上」などの問題に対処するために構築されました。
国際社会における役割
- 市場の信頼性(Integrity)を高める:中立的な第三者レジストリとして、発行・引退・履歴の公開を通じてクレジットの真正性を高めています。
- 資金動員(Finance Mobilisation):企業や投資家が「1 トンの除去を証明できる」クレジットを購入できることで、CDRプロジェクトへの民間資金流入を促進します。
- 途上国・公正な移行(Just Transition):高品質な除去クレジット市場が成熟すれば、途上国でのCDR技術・プロジェクトが資金を獲得しやすくなり、地域の雇用創出・技術移転・環境改善をもたらす機会が生まれます。
- ガバナンス・透明性:レジストリ運営・プロトコル策定・検証手続きにおいて、説明責任・透明性・利害対立防止(例えば検証機関の独立性)を明示しています。
仕組みや具体例
プロセス概要
- プロジェクト登録・設計:プロジェクト提案者は、Isometricが定める「Isometric Standard」や適用プロトコルに沿ってプロジェクト設計(Project Design Document, PDD)を作成します。
- 検証・認証(Validation & Verification):独立した審査機関(Validation and Verification Body, VVB)がプロジェクトの設計・実績を検証・認証します。
- クレジット発行(Issuance):検証後、1 クレジット=「1 ネット・メトリック・トンのCO₂e除去」が証明された場合、レジストリ上で発行されます。
- 譲渡・引退(Transfer & Retirement):発行後クレジットは所有者が移転可能。最終的に「引退(Retirement)」されて、気候上のクレームに使用されます。二重使用・二重計上を防ぐ追跡がなされています。
- モニタリング・反転リスク(Reversal)対応:除去した炭素が後に放出されるリスク(反転)があるため、バッファプール(貯備)制度などを利用してこれを補償しています。
具体的事例
- 海洋アルカリ化(Ocean Alkalinity Enhancement)や直接空気回収(Direct Air Capture, DAC)など、先端CDR技術が対象となるプロトコルが既に公開されています。
- レジストリが2025年時点で約37,893クレジット(発行)・11,853クレジット(引退)を記録していることが公開されています。
国際的な動向と日本の状況
グローバルなトレンド
- レジストリ・基準設定:Integrity Council for the Voluntary Carbon Market (ICVCM)などによる高品質クレジットの要件が強化されており、Isometricはその基準(Core Carbon Principles, CCPs)適合プログラムとして承認されています。
- CDR市場の成長:科学的に検証可能な除去が求められており、買い手が「本当にCO₂が除去・貯留されたか」を確認できるインフラ整備が急務となっています。Isometricはこの流れに応える一つのモデルです。
- 技術革新:バイオ炭、海洋酸性化制御、DAC、風化促進などがCDR手法として注目され、レジストリ基準もそれに対応しつつあります。
日本の状況との関連性
- 日本企業・機関も、クレジットを通じた除去型CDRを検討・導入していますが、従来の自然由来クレジット(植林等)が中心であり、除去・貯留型のクレジット市場整備はこれからと言えます。
- 日本国内で、海外クレジットデータベースがIsometricを新たに追加しており、除去型クレジットの可視化・分析が進んでいます。
- 途上国・アジア地域においては、除去技術を伴ったCDRプロジェクトが資金を得るための国際的信用枠組みとして、Isometricのような高品質レジストリが重要な仲介役になり得ます。
メリットと課題
メリット
- 信頼性向上:高水準の科学的検証・透明性・追跡性により、クレジット購入者・投資家が安心して除去クレジットを活用できます。
- 資金動員を後押し:信頼できるクレジットプラットフォームがあることで、CDRプロジェクトに対する民間・公共資金の流入が促されます。
- 途上国への機会:高品質除去型クレジット市場の拡大は、途上国におけるCDR技術導入・雇用創出・環境改善の機会となります。
- ガバナンス強化:検証機関の独立性、報告の透明性、バッファプール制度など、制度的な健全性が高まっています。
課題
- コスト・スケール:除去・貯留型CDRは技術的・資金的ハードルが高く、クレジット単価が従来型回避クレジットより高くなる傾向があります。
- 技術・リスクの不確実性:反転リスク(貯留したCO₂が大気に戻る)や長期貯留の保証、モニタリングの難しさが残ります。
- 途上国実装の壁:特に途上国では、技術移転・資金調達・能力構築が課題となりうるため、公正な移行(Just Transition)を確保する設計が重要です。
- 市場成熟度:CDRクレジット市場自体が発展途上であり、信頼できる価格の形成・流動性・規制フレームワークがまだ完全に整っていません。
まとめと今後の展望
要点整理:
- Isometricは「除去・貯留」型のクレジット発行に特化し、高い科学的・制度的信頼性を備えたレジストリです。
- 気候変動対策における資金動員・途上国支援・グローバルな除去スケール拡大に向け、重要なインフラとなっています。
- 日本・アジアの文脈でも、除去型クレジットの可視化・分析が進んでおり、行政・企業ともに対応が求められています。
- ただし、技術・資金・制度の課題も残されており、公正な移行や途上国参画を考慮した設計が不可欠です。
今後の展望:
- 除去型CDRプロジェクト(例えばDAC、海洋アルカリ化、バイオ炭等)が倍々ゲームで拡大する中、Isometricのような高品質レジストリが「除去トン数」への信頼の鍵となるでしょう。
- 途上国におけるCDR実装・参加を促すため、資金支援・技術協力・能力構築といった開発金融的視点が一層重要になります。
- 日本を含む先進国企業が、除去型クレジットを用いた「クリーン移行(Just Transition)ファイナンス」や「途上国支援型クレジット調達戦略」を構築する機会が増えると期待されます。
- 市場規模の拡大に合わせて、価格透明性・流動性・二重計上リスク等を防止する制度設計・監視体制の整備が今後の焦点となります。
今後、除去型クレジット市場が成熟を迎える中で、Isometricが果たす役割はますます拡大していくと考えられます。