国境を越えて人々やモノを運ぶ国際航空。このグローバルな産業は、特定の国の規制だけでは脱炭素化が難しく、世界共通のルール作りが不可欠です。この課題に対し、航空業界自身が国連の専門機関のもとで創設した、セクター全体での排出削減メカニズムが「CORSIA(コルシア)」です。
この記事では、世界の空の脱炭素化に向けた、このユニークな国際的枠組みについて、その仕組み、重要性、そしてカーボン市場に与える影響を解説します。
CORSIAとは?
CORSIA(Carbon Offsetting and Reduction Scheme for International Aviation)とは、一言で言うと**「国際航空分野からのCO2排出量を、2019年レベルで凍結(それ以上増加させない)するために、国連の専門機関であるICAO(国際民間航空機関)が主導する、世界共通の市場メカニズム」**のことです。
その核心的な目標は**「2020年以降のカーボンニュートラルな成長(Carbon Neutral Growth from 2020, CNG2020)」です。具体的には、世界の国際線から排出されるCO2の総量が、基準となる2019年のレベルを超えた場合、その増加分を、各航空会社がカーボンクレジットの購入・償却などによって相殺(オフセット)**することが義務付けられます。
3. なぜCORSIAが重要なのか?
CORSIAは、特定の産業セクターを対象とした、世界初かつ唯一のグローバルな気候変動対策の枠組みであり、極めて重要な意味を持ちます。
- 国際航空分野の「共通ルール」: CORSIAは、各国がバラバラに航空税や排出規制を課すことによる、国際的な混乱や二重負担を避けるための、統一されたルールを提供します。
- カーボンクレジットへの安定的で巨大な需要の創出: 成長を続ける航空業界に対し、CO2排出のオフセットを義務付けることで、CORSIAは自主的炭素市場(VCM)にとって、安定的かつ巨大なクレジット需要を生み出す、最大の買い手の一つとなります。これは、市場全体の価格を支え、途上国などでのプロジェクトへの資金供給を促進します。
- SAF(持続可能な航空燃料)の普及を強力に後押し: 後述するように、航空会社はSAFを使用することで、CORSIAの下でのオフセット義務を減らすことができます。これが、まだ高価で供給量の少ないSAFの製造と利用を促進するための、強力な経済的インセンティブとなっています。
4. CORSIAの仕組み
4-1. ベースラインとオフセット義務
まず、2019年の国際航空全体のCO2排出量が「ベースライン」として設定されます。その後、毎年の排出量がこのベースラインを超えた場合、その増加分が、各航空会社の飛行実績に応じて割り当てられ、オフセット義務となります。
4-2. 義務の履行:適格クレジットとSAF
航空会社は、課せられたオフセット義務を、主に以下の2つの方法で履行します。
- *「CORSIA適格クレジット」**の購入と無効化(Retirement):ICAOが承認した、信頼性の高いカーボンクレジットを購入し、自らの義務量として償却する。
- *「CORSIA適格燃料(=SAF)」**の使用:SAFを使用した場合、そのライフサイクルでのCO2削減効果が認められ、自社の排出量が少ないものとして計算されます。これにより、オフセット義務そのものが減少します。
4-3. 段階的な導入フェーズ
急激な負担を避けるため、制度は段階的に導入されます。
- パイロットフェーズ(2021-2023)と第1フェーズ(2024-2026): 各国の参加は任意。
- 第2フェーズ(2027-2035): ほとんどの国(後発開発途上国などを除く)の参加が義務となる。
5. 国際的な動向と「適格クレジット」
- 参加国の動向: 第1フェーズは任意参加ですが、日本、米国、欧州各国、中国、シンガポールなど、世界の国際航空の主要国・地域が自主的に参加を表明しており、制度は既に実質的にグローバルなものとして機能しています。
- 適格クレジットの選定: CORSIAの信頼性を左右するのが、「どのクレジットがオフセットとして利用できるか」です。ICAOの理事会は、専門家で構成される**「技術諮問委員会(TAB)」**の助言に基づき、利用可能なクレジット認証基準(プログラム)を決定します。現在、Verra、Gold Standard、ACR、CARといった、主要な国際基準が「CORSIA適格プログラム」として承認されています。この「CORSIA適格」であることは、クレジットの品質を測る上での、一つの重要なベンチマークとなっています。
6. メリットと課題
メリット
- 国境を越える「国際航空」という、規制が難しいセクターに対し、世界共通の枠組みを提供した。
- カーボン市場に、安定的で大規模な需要をもたらす。
- SAFの普及に向けた、強力なインセンティブとして機能する。
デメリット(課題)
- 「オフセット」への依存: 制度が、航空業界自身の排出削減(エンジン効率の改善など)を直接義務付けるのではなく、他分野の削減分で「相殺(オフセット)」することに大きく依存している点について、その野心度が十分ではないとの批判がある。
- クレジットの品質: 制度全体の環境的な健全性は、承認される「適格クレジット」の品質に完全に依存する。そのため、ICAOの選定プロセスには、常に厳しい視線が注がれている。
- 対象範囲: あくまで「国際線」のみが対象であり、各国の「国内線」の排出は、それぞれの国の政策(例:EU ETS)の対象となる。
7. まとめと今後の展望
本記事では、CORSIAが、国際航空業界のCO2排出増加を抑制するための、世界で唯一のグローバルな市場メカニズムであることを解説しました。
【本記事のポイント】
- CORSIAは、ICAOが運営する、国際航空分野のための排出削減・オフセット制度。
- *「2019年レベルからのCO2排出量の増加分」**をオフセットすることを目的とする。
- 航空会社は、SAFの使用、または**「CORSIA適格クレジット」**の購入・無効化によって義務を履行する。
- そのクレジット需要は、**自主的炭素市場(VCM)**の重要な支えとなっている。
CORSIAは、国際的な合意形成が極めて難しい分野において、業界自らが主導して作り上げた、現実的かつ重要な一歩です。国際開発の視点からも、CORSIAは、先進国の航空会社から、途上国で実施される排出削減プロジェクトへと、新たな気候変動ファイナンスの流れを生み出す「橋渡し役」としての役割を担っています。今後の課題は、世界の削減目標がより野心的になる中で、CORSIA自身の目標を引き上げ、利用可能なクレジットの品質基準を、ICVCMが示すような最高水準へと、常にアップデートし続けていくことです。