もし、ある企業が利益の出る事業として、いずれにせよ建設する予定だった風力発電所について、さらにカーボンクレジットまで発行して販売できたら——。それは、気候変動対策への真の貢献と言えるでしょうか。この根源的な問いに「ノー」を突きつけるのが、カーボンクレジットの信頼性を支える最も重要で、最も議論を呼ぶ原則**「追加性(Additionality)」**です。
この記事では、クレジットの環境価値を左右するこの「追加性」という概念について、その意味、証明方法、そしてなぜそれが市場の健全性にとって不可欠なのかを解説します。
2. 追加性(Additionality)とは?
追加性とは、一言で言うと**「もしカーボンクレジット制度によるインセンティブ(収入)がなかったとしたら、そのプロジェクトによる排出削減・吸収は起こらなかった」**ということを示す、プロジェクトの適格性に関する原則です。
これは、「But for(~がなければ)」テストとも呼ばれます。つまり、「カーボンクレジットの販売機会がなければ、このプロジェクトは実施されなかった」という、因果関係を証明することが求められます。追加性が認められて初めて、そのプロジェクトが生み出す削減量は、気候変動対策への「追加的な」貢献と見なされ、クレジットとして発行する資格を得ます。
3. なぜ追加性が重要なのか?
追加性は、カーボン市場の信頼性(エンバイロメンタル・インテグリティ)の根幹をなす、生命線とも言える原則です。
- 環境的な健全性の確保: もし追加性のないプロジェクト(いずれにせよ実施された事業)からクレジットが発行されると、それは「幻の削減量」となります。企業が、自らの現実の排出を、この幻の削減量でオフセットしても、地球全体で見ればCO2は1トンも減っていません。これは、単なる会計上の操作に過ぎず、気候変動対策としての意味を失います。
- グリーンウォッシングの防止: 追加性のないクレジットを使って「カーボンニュートラル」を主張することは、グリーンウォッシングの典型的な手口です。追加性の原則は、こうした見せかけの環境貢献を防ぐための、最も重要な防衛線です。
- 効率的で公正な資金配分: 国際開発の視点からも、追加性は極めて重要です。これにより、限られた気候変動ファイナンスが、既に経済的に自立している事業への補助金として浪費されることなく、本当に資金を必要としている、革新的で困難なプロジェクトへと、効率的かつ公正に配分されることが保証されます。
4. 追加性を証明するためのテスト
プロジェクトが追加的であることを証明するため、VerraやGold Standardといった認証機関は、以下のような複数のテストを組み合わせた、厳格な審査を行います。
4-1. 法的・規制上の追加性
プロジェクトの活動が、その国の法律や規制によって、既に義務付けられていないか。もし義務であれば、それは「やらなければならないこと」であり、追加的とは見なされません。
4-2. 財務的な追加性
これが最も一般的なテストです。「もしクレジット収入がなかった場合、このプロジェクトは経済的に成り立ったか?」を検証します。投資回収率(IRR)が著しく低い、あるいは初期投資のハードルが高すぎるといった「財務的な障壁」が存在し、それをクレジット収入が乗り越えさせる、ということを証明する必要があります。
4-3. 一般慣行の追加性
プロジェクトで用いられる技術や活動が、その国や地域で既に広く普及していないか。もし、誰もが当たり前に行っていることであれば、それは「事業活動の通常(Business as usual)」と見なされ、追加的とは認められません。
5. 国際的な動向と具体的な論点
- 再生可能エネルギーの追加性をめぐる議論: この論点の代表例が、再生可能エネルギープロジェクトです。十数年前は、太陽光や風力発電はコストが非常に高く、その導入は明らかに「追加的」でした。しかし2025年現在、多くの国で再エネは最も安価な電源の一つとなっています。そのため、主要な認証機関は、大規模な再エネプロジェクトの追加性を、原則として認めない方向へとルールを厳格化しています。
- ICVCMによる要件の強化: 市場全体の信頼性向上を目指すICVCMは、その**「コア・カーボン原則(CCPs)」**の中で、この追加性の原則を、クレジットの品質を決定づける最も重要な要素の一つと位置づけています。各認証機関が、いかに厳格に追加性の審査を行っているかが、ICVCMによる評価の大きな焦点となっています。
6. メリットと課題(概念として)
メリット(追加性の原則の)
- カーボン市場の環境的な健全性を保証する。
- 気候変動ファイナンスが、本当に必要なプロジェクトに届くようにする。
- 買い手と市場全体を、グリーンウォッシングのリスクから守る。
デメリット(課題)
- 「もしも」の証明の難しさ: 「もしプロジェクトがなかったら、どうなっていたか」という、本質的に証明不可能な「反事実」を論証する必要があり、その判断には常に主観が入り込む余地がある。
- プロセスの複雑性とコスト: 追加性の証明には、詳細な投資分析や市場調査が必要であり、プロジェクト開発者にとって大きな時間的・金銭的コストとなる。
- 動的な性質: 技術の進歩や市場の変化によって、「追加的」であるかどうかの境界線は常に変化するため、継続的なルールの見直しが必要。
7. まとめと今後の展望
本記事では、「追加性」が、カーボンクレジットの価値の源泉であり、その信頼性を担保するための、避けては通れない、そして最も重要な原則であることを解説しました。
【本記事のポイント】
- 追加性とは、**「クレジット収入がなければ、その削減は起こらなかった」**ことを示す原則。
- 財務的、法的、一般慣行などの観点から、厳格なテストによって証明される。
- この原則が、クレジットの環境的な健全性を保証し、グリーンウォッシングを防ぐ。
- ICVCMなども、追加性の厳格な審査を高品質クレジットの絶対条件としている。
追加性は、これからもカーボン市場において、最も深く、最も活発に議論され続けるテーマでしょう。市場が成熟するにつれ、その証明に求められるハードルはますます高くなり、よりデータに基づいた、客観的な評価が不可欠となります。国際開発の視点からも、この厳格な原則を貫くことは、気候変動という地球規模の課題に対し、限られた資金が、真に世界を変える可能性を持つプロジェクトへと、的確に届けられることを保証するための、譲れない一線なのです。