気候変動との戦いにおいて、私たちの目標はもはや、CO2排出という「プラス」を減らすだけでは不十分である。これからは、大気中のCO2を積極的に取り除く「マイナス」を生み出すことが不可欠となる。この「マイナス」を生み出す行為こそが「ネガティブエミッション（負の排出）」である。
本稿では、ネガティブエミッションがネットゼロの達成とその先の未来にとって、なぜ決定的に重要なのかを解説する。
ネガティブエミッションとは
ネガティブエミッションとは、「人間活動によって、大気中から温室効果ガスを純粋に除去（Removal）する行為そのもの、またはその除去量」を指す。
なぜネガティブエミッションが重要なのか
IPCCは、世界の平均気温上昇を1.5℃に抑える全てのシナリオにおいて、今世紀半ば以降、大規模なネガティブエミッションが不可欠であると結論付けている。その役割は主に2つある。
ネットゼロ達成の「最後のピース」
航空、鉄鋼、農業など、技術的・経済的に排出量を完全にゼロにすることが極めて困難な産業分野が残る。この「残余排出量」を相殺し、社会全体でネットゼロを達成するためには、同量のネガティブエミッションが必要である。
気候を「修復」するための唯一の手段
ネットゼロは、いわば地球の「止血」である。温暖化の進行を止めることはできるが、それだけでは過去の排出による傷（高いCO2濃度）は癒えない。大気中のCO2濃度を実際に下げ、気候をより安全な状態へと「修復」していくためには、排出量を上回る規模のネガティブエミッションを創出し続ける必要がある。
ネガティブエミッションを実現する方法（CDR技術）
ネガティブエミッションは、自然の力と最先端の技術を組み合わせた、多様なCDRアプローチによって実現される。
自然ベースの解決策（Nature-based Solutions）
最も伝統的な方法として「植林・再植林」があり、これは生物多様性の保全など多くの便益をもたらす。また、マングローブ林や藻場など海洋生態系の力を活用する「ブルーカーボン」や、持続可能な農業を通じて土壌に炭素を蓄える「土壌炭素貯留」も重要な手法である。
技術ベースの解決策（Technology-based Solutions）
最先端技術としては、大気中のCO2を直接回収し地中に貯留する「DACCS」や、バイオマスエネルギーとCO2回収・貯留を組み合わせる「BECCS」がある。さらに、バイオマスから作った炭を土壌に貯留することで、炭素を固定しつつ土壌改良を行う「バイオ炭」の活用も進められている。
メリットと課題
メリット
最大のメリットは、パリ協定の1.5℃目標達成において科学的に不可欠な選択肢である点だ。過去の排出分を清算し、気候を修復する可能性を秘めているだけでなく、「炭素除去産業」という全く新しいグリーンな経済圏を創出することも期待される。
課題
一方で、いくつかの課題も存在する。
まず、最も警戒されるのが「モラルハザード」である。これは、「将来、技術でCO2を除去できるのだから、今すぐの厳しい排出削減努力は先延ばしにしても良い」という誤った考え方が広まるリスクを指す。
また、大規模展開に伴う持続可能性のリスクも無視できない。各CDR技術には、土地利用、エネルギー消費、生態系への影響といった固有のリスクがあり、慎重な管理が不可欠である。加えて、必要な除去量を実現するためのコストは依然として高く、技術レベルやインフラの整備も課題となっている。
まとめと今後の展望
本稿では、ネガティブエミッションが、大気中からCO2を取り除くという「マイナス」の活動であり、ネットゼロ達成とその先の未来に不可欠な要素であることを解説した。
- ネガティブエミッションとは、大気中からのCO2除去活動そのものを指す。
- CDR技術によって実現され、カーボンネガティブな状態を目指すための手段である。
- 残余排出量の相殺と、過去の排出分の清算という、2つの重要な役割を持つ。
- ただし、「今すぐの排出削減努力を代替するものではない」という点が極めて重要である。
ネガティブエミッションは、もはやSFの世界の話ではない。それは、私たちの世代が責任を持って向き合い、育てていかなければならない、現実の気候変動対策のポートフォリオの一部である。今後の国際社会には、この新しい強力なツールを、モラルハザードに陥ることなく、いかにして公正かつ持続可能な形で地球の未来のために賢く使っていくかという重い責任が課せられている。
