植物の光合成は、地球上で最も強力な二酸化炭素(CO2)の吸収メカニズムである。この自然の力を活用し、植物が吸収したCO2を大気中に再放出されることなく、長期間にわたって安定的に貯留する技術群の総称がBiCRS(Biogenic Carbon Removal and Storage、生物起源炭素除去・貯留)である。これは、気候変動対策におけるネガティブエミッションを実現する重要な選択肢とされている。
本記事では、「国際開発と気候変動ファイナンス」の視点から、BiCRSが持つ大きな可能性と、その裏にある持続可能性や公正な移行を巡る深刻な課題、そして市場の信頼性をいかに確保していくべきかを解説する。
BiCRSとは
一言で言うと、BiCRSとは「植物や藻類などのバイオマス(生物資源)が光合成によって吸収したCO2を、エネルギー利用や製品化の過程で分離・回収し、地中や製品内に半永久的に貯留するあらゆるアプローチ」を指す。
重要なのは、BiCRSが単一の技術ではなく、複数の異なる技術経路を包含する概念であり、最も有名なBECCS(バイオマスエネルギーCCS)も、BiCRSの一種類である。
BiCRSの重要性
BiCRSは、適切に管理されれば、気候変動対策においてユニークかつ強力な役割を果たす。
ネガティブエミッションの実現
化石燃料由来のCO2排出を回収する通常のCCSが排出の「追加を防ぐ」緩和策であるのに対し、BiCRSはもともと大気中にあったCO2をバイオマスを通じて除去するため、ライフサイクル全体でネガティブエミッションを実現できるポテンシャルを持つ。
資金動員と新たな価値創造
農業廃棄物や林地残材など、これまで価値が低いと見なされてきたバイオマス資源から、エネルギーやバイオ炭、そして高品質な「除去系」カーボンクレジットといった高付加価値な産物を生み出す。これにより、途上国の農村地域に新たな産業と資金の流れを創出できる。
開発途上国におけるコベネフィット
特にバイオ炭を農地に施用するアプローチは、炭素を貯留するだけでなく、土壌の保水性や栄養分を改善し、化学肥料への依存を減らしながら農業生産性を向上させる効果がある。これは食料安全保障に直結する大きなメリットである。
公正な移行を巡る課題
BiCRSの持続可能性は、原料となるバイオマスをいかに「公正に」調達するかにかかっている。土地の権利、食料との競合、水資源への影響といった課題に真摯に向き合わなければ、気候変動対策が新たな社会問題を生み出すことになりかねない。
仕組みと具体例
BiCRSには、主に以下のような技術がある。
BECCS(Bioenergy with Carbon Capture and Storage)
木質ペレットなどのバイオマスを燃焼させて発電し、その際に発生する排気ガスからCO2を分離・回収し、地下深くの安定した地層に貯留(地中貯留)する。CO2を除去しながら、電力や熱といった調整可能なエネルギーを供給できる点が特徴である。大規模な設備投資が必要となる。
バイオ炭
バイオマスを無酸素または低酸素の状態で加熱(熱分解)し、炭素分が濃縮された安定的な固形物「バイオ炭」を製造する。このバイオ炭を農地などの土壌に施用することで、炭素を数百年〜数千年にわたり安定的に貯留する。
土壌改良材としての強力なコベネフィットを持ち、比較的小規模・分散型で実施できるため、途上国の農村地域での展開に適している。
バイオマス埋設
伐採後の枝葉や農業残渣といったバイオマスを、分解が進まないよう乾燥させ、酸素が遮断された環境(例:特定の地中)に埋設して炭素を貯留する。技術的なハードルは低いが、土地の確保や長期的な安定性のモニタリングが課題である。
メリットと課題
BiCRSは、大きな期待と深刻な課題が同居する、諸刃の剣のような技術である。
| メリット | 課題 |
| 大規模なネガティブエミッション 理論上、ギガトン単位でのCO2除去が可能であり、ネットゼロ達成後の気候安定化に貢献しうる。 | 原料の持続可能性と土地利用競合 最大の課題である。エネルギー作物のための大規模プランテーションは、森林破壊や食料価格の高騰、水資源の枯渇を招くリスクが極めて高い。 |
| エネルギー供給や農業への貢献 BECCSは安定したエネルギーを、バイオ炭は持続可能な農業を、それぞれ提供できる。 | 高コストと複雑なサプライチェーン BECCSは大規模な設備投資が必要である。また、広範囲からバイオマスを収集・運搬するロジスティクスは、コストとCO2排出の両面で課題となる。 |
| 廃棄物資源の有効活用 農業残渣や都市ごみなど、これまで廃棄されていた資源に経済的価値を与え、サーキュラーエコノミーに貢献する。 | 社会的リスクと公正な移行 土地の収用や資源の囲い込みが、先住民や小規模農家といった脆弱なコミュニティの権利を侵害する危険性がある。利益の公正な分配が不可欠である。 |
まとめ
BiCRSは、自然の力と人間の技術を組み合わせることで、大気中のCO2を能動的に除去しうる強力なアプローチである。しかし、その力は、地球の生態系と人間社会のバランスの上に成り立っていることを決して忘れてはならない。
- BiCRSは、バイオマスを利用してCO2を除去・貯留する技術群の総称であり、BECCSやバイオ炭などを含む。
- 真のネガティブエミッションを実現するポテンシャルを持つが、その成否は原料バイオマスの持続可能性に完全にかかっている。
- 特に途上国においては、食料安全保障や土地の権利との競合が最大の懸念事項であり、公正な移行への配慮が不可欠である。
BiCRSの未来は、「何を原料とするか」という問いに集約される。食料生産と競合せず、生態系を破壊しない、真に持続可能なバイオマス(農業・林業残渣、都市廃棄物、藻類など)を原料とするサプライチェーンを確立できるか。そして、そのプロセス全体が、地域社会、特に最も脆弱な人々に便益をもたらすものであることを証明できるか。
この厳しい問いに答えられるBiCRSプロジェクトのみが、信頼に足る気候変動ファイナンスの対象となり、持続可能な未来への貢献を許されることになるだろう。
