ある企業が、利益の出る事業として建設する予定だった風力発電所について、さらにカーボンクレジットまで発行して販売できたとしたらどうだろうか。それは、気候変動対策への真の貢献と言えるだろうか。
この根源的な問いが、カーボンクレジットの信頼性を支える最も重要かつ議論を呼ぶ原則「追加性(Additionality)」である。
本稿では、カーボンクレジットの環境価値を左右するこの「追加性」という概念について、その意味、証明方法、そしてなぜそれが市場の健全性にとって不可欠なのかを解説する。
追加性とは
追加性とは、「もしカーボンクレジット制度によるインセンティブ(収入)がなかったとしたら、そのプロジェクトによる排出削減・吸収は起こらなかった」ということを示す、プロジェクトの適格性に関する原則だ。
これは、But for(~がなければ)テストとも呼ばれる。つまり、「カーボンクレジットの販売機会がなければ、このプロジェクトは実施されなかった」という因果関係の証明が求められるのである。追加性が認められて初めて、そのプロジェクトが生み出す削減量は気候変動対策への「追加的な」貢献と見なされ、カーボンクレジットとして発行する資格を得るというのが、一般的な考え方だ。
なぜ追加性が重要なのか
追加性は、炭素市場の信頼性の根幹をなす、生命線とも言える原則である。その重要性は主に以下の3点に集約される。
環境的な健全性の確保
もし追加性のないプロジェクトからカーボンクレジットが発行されると、それはカーボンクレジットの精度が無くても成り行きで削減されていたCO2、つまり「架空の削減量」となる。企業が自らの排出をこの架空の削減量でカーボンオフセットしても、地球全体で見ればCO2は1トンも減っていないことになる。これは単なる会計上の操作に過ぎず、気候変動対策としての意味を失わせてしまう。
グリーンウォッシングの防止
追加性のないカーボンクレジットを使って「カーボンニュートラル」を主張することは、グリーンウォッシングの典型的な手口となり得る。追加性の原則は、こうした見せかけの環境貢献を防ぐための、最も重要な防衛線として機能する。
効率的で公正な資金配分
国際開発の視点からも、追加性は極めて重要である。これにより、限られた気候変動ファイナンスが、既に経済的に自立している事業への補助金として浪費されるのを防ぐことができる。資金を本当に必要としている、革新的で困難なプロジェクトへと、効率的かつ公正に配分されることが保証されるのである。
追加性を証明するためのテスト
プロジェクトが追加的であることを証明するため、認証機関は通常、以下のような複数の視点を組み合わせた審査を行う。
法的・規制上の追加性
プロジェクトの活動が、その国の法律や規制によって既に義務付けられていないかを確認する。もし義務であれば、それは「やらなければならないこと」であり、追加的とは見なされない。
財務的な追加性
これが最も一般的なテストである。「もしカーボンクレジット収入がなかった場合、このプロジェクトは経済的に成り立ったか」を検証する。投資回収率(IRR)が著しく低い、あるいは初期投資のハードルが高すぎるといった「財務的な障壁」が存在し、カーボンクレジット収入によってその障壁を乗り越えられることを証明する必要がある。
一般慣行の追加性
プロジェクトで用いられる技術や活動が、その国や地域で既に広く普及していないかを確認する。もし、誰もが当たり前に行っていることであれば、それは「事業活動の通常(Business as usual)」と見なされ、追加的とは認められない。
メリットと課題
追加性という概念には、市場の質を担保するメリットがある一方で、その運用の難しさという課題も存在する。
メリット
- 環境価値の保証
カーボン市場の環境的な健全性を担保する。 - 資金の適正配分
気候変動ファイナンスが、本当に必要なプロジェクトに届くようにする。 - リスク回避
買い手と市場全体を、グリーンウォッシングのリスクから守る。
課題
- 「もしも」の証明の難しさ
「もしプロジェクトがなかったら、どうなっていたか」という、本質的に証明不可能な「反事実」を論証する必要があり、その判断には常に主観が入り込む余地がある。 - プロセスの複雑性とコスト
追加性の証明には詳細な投資分析や市場調査が必要であり、プロジェクト開発者にとって大きな時間的・金銭的コストとなる。
まとめ
本稿では、「追加性」がカーボンクレジットの価値の源泉であり、その信頼性を担保するための不可欠な原則であることを解説した。
追加性とは、「クレジット収入がなければ、その削減は起こらなかった」ことを示す原則であり、財務的、法的、一般慣行などの観点から厳格に審査される。この原則を守り抜くことは、気候変動という地球規模の課題に対し、限られた資金が真に世界を変える可能性を持つプロジェクトへと的確に届けられることを保証するための、譲れない一線なのである。


