カーボンインセッティングとは?わかりやすく解説|What Is Carbon Insetting?

村山 大翔

村山 大翔

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はじめに

企業の気候変動対策が、自社の直接排出(Scope 1, 2)だけでなく、サプライチェーン全体の排出(Scope 3)へと拡大する中、その責任の果たし方も進化を遂げています。従来型の「カーボンオフセット」に代わる、より積極的で本質的なアプローチとして急速に注目を集めているのが**カーボンインセッティング(Carbon Insetting)**です。本記事では、「国際開発と気候変動ファイナンス」の視点から、インセッティングが単なる排出量埋め合わせではなく、いかにして企業のバリューチェーンそのものを変革し、開発途上国のパートナーの強靭性(レジリエンス)を高め、公正な移行(Just Transition)を伴うリアルな資金動員(Finance Mobilization)を実現する戦略であるのかを解説します。

用語の定義

一言で言うと、カーボンインセッティングとは**「企業が、自社のバリューチェーン(供給網)の『内部』で発生する温室効果ガスを削減するために、その領域内で直接、排出削減・吸収プロジェクトに投資し、実行すること」**です。

ここで最も重要なのが、**カーボンオフセッティング(Carbon Offsetting)**との違いです。

  • オフセッティング(相殺): 自社の事業活動とは全く無関係な『外部』の排出削減プロジェクト(例: 他国の森林保全)からカーボンクレジットを購入し、自社の排出量を埋め合わせる行為。
  • インセッティング(内部化): 自社の事業活動に直接関わる『内部』のサプライヤーや生産者(例: 自社製品の原料を栽培する農家)を支援し、排出量を根本から削減・吸収する行為。

この違いを**「部屋の掃除」**に例えてみましょう。

オフセッティングは、「自分の部屋を散らかしてしまったので、その埋め合わせに、お金を払って『他人の部屋』の掃除を代行してもらう」ようなものです。社会全体で見れば掃除は行われていますが、自分の部屋は散らかったままです。

一方、インセッティングは、「自分の部屋が散らからないように、収納を改善し、効率的な掃除機を買い、整理整頓の習慣を身につける」ことです。問題の根本原因に、自分自身の領域内で直接対処しているのです。

重要性の解説

インセッティングは、企業のサステナビリティ戦略を名実ともに進歩させる、画期的なアプローチです。

  1. Scope 3 排出量への直接的アプローチ: 多くの企業にとって、排出量の大部分を占めるのがScope 3(自社の活動に関連する他社の排出)です。インセッティングは、この最も管理が難しいScope 3排出量に対し、サプライヤーと協働して直接削減していくための最も効果的な手段です。
  2. サプライチェーンの強靭性(レジリエンス)構築: 気候変動は、干ばつや洪水を通じて、特に途上国の農産物サプライヤーなどに深刻な影響を与えます。インセッティングを通じてリジェネラティブ農業(環境再生型農業)などを支援することは、サプライヤーの気候変動への適応能力を高め、長期的で安定した調達を可能にし、自社の事業リスクを低減します。
  3. 信頼性の高い資金動員と公正な移行: インセッティングは、企業からサプライチェーンの末端にいる途上国の小規模生産者への、直接的な資金・技術移転のチャネルとなります。これにより、彼らの生計を向上させ、より持続可能な生産手法への移行を支援します。これは、サプライヤーを一方的に切り捨てるのではなく、共に成長していく「公正な移行」の精神を具現化するものです。
  4. グリーンウォッシング批判の回避: 実態との乖離が指摘されがちなオフセットと異なり、インセッティングは自社の事業と直結した具体的な変革活動です。そのため、投資家や消費者に対し、より透明性が高く、信頼できる気候変動対策として説明責任を果たすことができます。

仕組みや具体例

インセッティングは、様々な業界で実践されています。

  • 食品・飲料業界:
    コーヒー会社が、自社にコーヒー豆を供給する南米の小規模農家に対し、アグロフォレストリー(農業と林業の融合)の技術指導と資金を提供。これにより、農地の土壌に炭素が貯留され(CO2吸収)、生物多様性が向上し、農家はシェードツリー(日陰樹)から果物などの副収入も得られるようになる。
  • ファッション・アパレル業界:
    アパレルブランドが、自社製品に使用する綿花を栽培するインドの農家と協力し、化学肥料や農薬を減らし、土壌の健康を回復させるリジェネラティブ農業への移行を支援。土壌の炭素貯留量が増加し、水の使用量も削減される。
  • IT・テクノロジー業界:
    大手IT企業が、自社製品の製造を委託しているアジアのサプライヤー工場に、省エネ設備の導入や、屋上への太陽光パネル設置のための資金を提供する。これにより、サプライヤーの電力使用に伴う排出量(企業のScope 3)が削減される。

国際的な動向と日本の状況

国際的な動向

企業のScope 3削減責任への関心が高まるにつれ、インセッティングは世界的な潮流となりつつあります。

  • **ゴールド・スタンダード(Gold StandardICROA(国際炭素削減・オフセット同盟)**といった国際的な基準設定機関が、インセッティングの信頼性を担保するための定義やガイダンスの整備を進めています。
  • ネスレ、シャネル、LVMHといったグローバル企業が、インセッティングを自社の気候戦略の中核に据え、大規模な投資ファンドを立ち上げるなどの動きが活発化しています。オフセッティングへの批判が高まる中、より本質的でストーリー性の高いインセッティングが、企業の気候リーダーシップを示す指標となりつつあります。

日本の状況

日本企業においても、Scope 3排出量の算定・開示が一般化するにつれて、インセッティングへの関心が高まっています。特に、海外に広範なサプライチェーンを持つ総合商社や食品、アパレル関連の企業が、サプライヤーエンゲージメントの一環として、インセッティング的なプロジェクトの導入を検討・開始しています。これは、日本の伝統的な「サプライヤーとの長期的関係性」を重視する経営文化とも親和性が高いアプローチと言えます。

メリットと課題

インセッティングは強力な戦略ですが、その実行は容易ではありません。

メリット課題
高い信頼性と透明性: 自社の事業と直結しているため、活動内容や効果を具体的に説明しやすく、グリーンウォッシングのリスクが低い。⚠️ 複雑さとコスト: サプライヤーとの緊密な連携、長期的な計画、現場でのモニタリングなど、安価なオフセットクレジットを購入するよりはるかに複雑で、初期投資も大きい。
サプライチェーンの強化: サプライヤーの生産性や気候変動への適応能力を高め、自社の事業基盤を安定・強化させることに繋がる。⚠️ MRV(測定・報告・検証)の難しさ: サプライチェーンの奥深くで行われる活動による排出削減・吸収量を、科学的根拠に基づき正確に測定・定量化するための手法がまだ発展途上。
明確な共同便益(コベネフィット): 途上国の生産者の生計向上、生物多様性の保全など、気候以外の多くのポジティブなインパクトを同時に創出できる。⚠️ 影響範囲の限界: あくまで自社のバリューチェーン内部での活動のため、削減できる量はその範囲内に限定される。また、サプライヤーに対する影響力は、直接的な支配力とは異なるため、計画通りに進まないリスクもある。

まとめと今後の展望

カーボンインセッティングは、企業が気候変動に対する責任を果たすためのアプローチを、受動的な「埋め合わせ」から、能動的な「変革」へと進化させるものです。それは、自社の事業活動が依存する生態系と人間社会の健全性に対して、直接投資するという、極めて戦略的なサステナビリティ活動と言えます。

要点の整理

  • インセッティングは、自社のバリューチェーンの『内部』で排出削減・吸収プロジェクトに投資することである。
  • 『外部』のクレジットを購入するオフセッティングとは異なり、サプライチェーンの根本的な変革を目指す
  • Scope 3削減に効果的で、サプライヤーの強靭性を高めグリーンウォッシングのリスクが低い
  • 実行は複雑でコストがかかるが、企業の長期的価値と気候リーダーシップに直結する。

今後の展望

企業の気候変動対策が「ネットゼロ」の達成を本気で目指すのであれば、インセッティングはその戦略の中心を占めるようになるでしょう。今後は、衛星データやブロックチェーンなどのデジタル技術を活用し、サプライチェーン上の排出削減活動をより効率的かつ透明にMRVするソリューションが普及することが期待されます。インセッティングは、単なる環境貢献活動ではなく、事業の持続可能性そのものを高めるための「未来への投資」として、あらゆる企業にとって必須の経営課題となっていくはずです。