二酸化炭素の貯留事業に関する法律(CCS事業法)が2026年5月22日に全面施行された。同日、経済産業省と環境省は貯留事業・導管輸送事業に係る規制詳細を定めた政省令を整備し、自然環境保全法施行規則も同日付で改正・公布された。これにより、探査・試掘・貯留事業の事業化フロー全段階で規制枠組みが確定し、2030年代初頭からのCCS事業開始に向けた制度基盤が整った。
本件は単発の規制案件ではなく、2024年5月の法律成立、同年8月の探査規制施行、同11月の試掘規制施行を経て段階的に積み上げられてきた制度整備の到達点である。海域CCSの規制は経済産業大臣と環境大臣の共管とされ、従来海洋汚染等及び海上災害の防止に関する法律で運用されていた環境大臣許可制度がCCS事業法に一元化された。
新たな政令では、海域で貯蔵するCO2の濃度基準を99vol%以上とすることを原則とした。CO2以外の不純物が一定の基準を満たす場合に限り99vol%未満も認められるが、二酸化炭素以外の油等の混入は禁じられる。
純度基準は欧州のCCS指令や国際慣行と整合する水準であり、貯留CO2の長期安定性確保と海洋環境への影響最小化を両立させる設計といえる。事業者は混合ガス組成の管理を圧入段階で厳格に行う必要があり、捕集技術側の純度確保がコスト要因として顕在化する。
省令はモニタリング区分を通常時・懸念時・異常時の3段階に整理した。モニタリング対象はCO2の成分・濃度・流量・注入量、温度・圧力、坑井健全性、地層の振動、CO2の位置及び範囲、海洋環境及び陸域の状況の6項目に及ぶ。
通常時から懸念時への移行は、貯留区域周辺を震源とする特定規模以上の地震発生、または実測したCO2挙動とシミュレーション結果との著しい乖離が生じた場合とされる。懸念時から異常時への移行は、遮蔽層より上部の層での顕著な圧力上昇や、弾性波探査結果が貯留区域外へのCO2移動を示唆する場合等、漏えい又はそのおそれが認められる場合に判断される。
CO2圧入開始前には初期ベースラインデータの取得が求められ、海洋環境については最低1年以上、季節ごとの変動を捉える頻度(年4回程度)での観測が想定されている。
貯留事業の廃止許可申請が可能となるのは、CO2圧入停止後、原則10年を下らない期間が経過した後とされる。注入量が少量で短期間で安定貯蔵が見込まれる場合に限り、主務大臣の認定により短縮が可能となる。
廃止後は独立行政法人エネルギー・金属鉱物資源機構(JOGMEC)に管理業務が移管される。事業者がJOGMECに納付する拠出金は、少なくとも30年間分の管理業務費用を確保できる水準で算定される。圧入停止から廃止までの10年、廃止後30年という時間軸は、貯留CO2の長期安定性を制度的に担保する設計である。
貯留事業許可基準である「二酸化炭素の安定的な貯蔵が見込まれること」への適合判断は、ISO27914:2026を参考に4段階で構成される。サイトスクリーニング・実現可能性調査、サイト特性評価(キャラクタリゼーション)、モデリング・シミュレーション、リスクマネジメントの各段階で求められる評価項目が省令上明確化された。
サイトスクリーニング段階では、貯留構造・遮蔽構造の存在可能性、貯留層・遮蔽層を貫通する活断層の有無等が評価される。モデリング・シミュレーションでは、動的シミュレーションモデルに加え、CO2圧入が及ぼす岩石力学的影響を評価するジオメカニカルシミュレーションモデルの構築が求められる。リスクマネジメントでは、断層へのCO2到達など漏えいを引き起こしうるシナリオの発生確率と結果の重大度を評価することが明示された。
国際標準への参照は、将来の越境CO2輸送・貯留やクレジット化の文脈で日本制度の国際的相互運用性を確保する含意を持つ。
CCS事業法の全面施行と同日、自然環境保全法施行規則の改正も公布・施行された。
沖合海底特別地区内で貯留事業のための海底掘削を行う場合、申請に係る場所以外で目的を達成できないこと、自然環境への影響の継続的監視計画を有すること、海底形質の変更が周辺海域の自然環境保全に支障を及ぼすおそれが少ないこと、の3要件すべてを満たすことが許可の条件とされた。
沖合海底自然環境保全地域は、海底の地形や地質、生物多様性等の観点から自然環境の保全を図るため指定される区域である。本件は、自然環境保全の制度的優先性と脱炭素インフラ整備の必要性とが正面から交差する論点であり、両者を「目的を他で達成できない」要件と継続監視義務で接続する設計が採られた。
省令案に対するパブリックコメントは意見提出件数0件で終了している。
制度の枠組みは確定したが、実装段階での課題は残る。一つは事業性である。99vol%の純度基準、10年・30年にわたる長期責任、初期ベースラインデータの取得期間等は、いずれも事業者負担を構造的に高める要素となる。
もう一つは、貯留量のクレジット化との接続である。CCS事業法は貯留事業そのものの規制法であり、貯留されたCO2をカーボンクレジットとして経済価値化する仕組みはJ-クレジット制度やGX-ETS、あるいはJCMといった別建ての制度に委ねられる。BECCSやDACCSといった除去系CDRが実装される際、CCS事業法上の貯留要件とCDR系カーボンクレジット市場が要求する永続性・追加性・MRVの基準とがどう接続されるかは、今後の制度間調整に委ねられている。
本件は、2024年の法成立から段階的に積み上げられてきたCCS制度整備の到達点であり、2030年代初頭の事業開始に向けた構造的な基盤確立として位置づけられる。注目すべきは、規制密度の高さと国際標準(ISO27914:2026)への明示的参照を両立させた設計である。
10年・30年の時間軸を組み込んだ長期責任設計は、英国や米国(45Q)の枠組みと比較しても先進的水準にあり、貯留CO2の越境取引や将来のクレジット化局面で国際的相互運用性の基盤となる。一方、沖合海底自然環境保全地域での掘削許容は、自然環境保全と脱炭素インフラ整備の優先順位調整に踏み込んだ判断であり、「目的を他で達成できない」要件によって両者を接続する設計が採られた点に制度的特徴がある。
本件はCCSの制度整備であり、除去系CDRカーボンクレジット市場とは独立した文脈で評価する必要があるが、BECCSやDACCSの事業化基盤として間接的な市場形成効果を持つ点は見落とせない。