タイのアヌティン・チャーンウィラクーン首相率いる内閣は2025年12月2日、同国初となる包括的な気候変動法案(Climate Change Act)の原則を承認した。本法案は、温室効果ガス(GHG)排出削減を法的義務として課すもので、排出量取引制度(ETS)および炭素税の導入に加え、カーボンクレジットを「売買・譲渡可能な資産」として法的に定義する内容が含まれている。政府は2050年のカーボンニュートラル、2065年のネットゼロ達成に向け、今後10年間で70億ドル(約1兆500億円)規模の投資が必要であると試算している。
カーボンクレジットの資産性とETSの設計
今回承認された法案の核心は、長年ボランタリーな取り組みに留まっていたタイの炭素市場を、強制力のあるコンプライアンス市場へと移行させる点にある。
法案では、カーボンクレジットが正式に「法的資産」として定義された。これにより、企業間での売買や譲渡に関する法的確実性が担保され、金融商品としての取り扱いが明確化される。あわせて、温室効果ガス管理のための4つの主要委員会が設置され、「国家気候変動政策委員会」が政策決定を主導する。
導入が決定した排出量取引制度(ETS)は、キャップ・アンド・トレード方式を採用する。気候変動・環境局(DCCE)の草案によると、対象セクターには化石燃料生産、発電、製造業、農業、食品・飲料産業が含まれる予定だ。開始時期は未定だが、国全体の削減目標に沿った排出上限(キャップ)が設定される。
炭素税と国境調整メカニズムへの対応
ETSと並行して、石油製品や特定の製品に対する炭素税も導入される。物品税局および関税局が徴収を担い、ガソリン、ディーゼル、LNG(液化天然ガス)など30以上の品目が対象となる見込みだ。
初期の草案では、灯油1リットルあたり最大約3.13ドル(約470円)、LNG1キログラムあたり約2.5ドル(約375円)といった上限税率が示唆されていたが、最終的な税率は今後策定される副次法(organic law)によって、経済状況と財政規律を考慮して決定される。
また、欧州連合(EU)の炭素国境調整措置(CBAM)に対抗し、タイ独自の国境炭素価格調整メカニズムの導入も盛り込まれた。これは、輸出産業が国際的な炭素規制によって不利益を被らないよう、国内制度を国際基準に整合させる狙いがある。
産業界への影響と「気候基金」の設立
カシコン・リサーチ・センター(Kasikorn Research Center)の分析によると、本法案の影響を受ける産業の規模は2,030億ドル(約30兆5,000億円)に達し、これはタイのGDPの約37%に相当する。適用は以下の3段階で進められる見通しだ。
- フェーズ1(2026年〜):多排出産業およびEU-CBAM対象セクター(運輸、公益事業、金属など)。影響額は約530億ドル(約8兆円)。
- フェーズ2:石油製品、プラスチック、化学、石炭採掘など。
- フェーズ3:農業、食品、電子機器など。
政府はまた、炭素収益を原資とする「気候基金(Climate Fund)」を設立する。同基金は国家機関として法人化され、企業による低炭素技術への投資支援や、気候変動適応策への資金提供を行う。さらに、環境配慮型の経済活動を分類する「タクソノミー(分類体系)」も策定し、グリーンファイナンスの呼び水とする計画だ。
今後の見通し
ラリダ・ペリスヴィワタナ副報道官は、法案の目的について「地球の保護とタイ国民の保護を両立させ、事業者の競争力維持と国民の生活費負担に配慮する」と述べた。
今後は法制化に向けた議会承認プロセスと、具体的な税率やETSの運用ルールを定める副次法の策定が急がれる。東南アジアの製造拠点であるタイでのカーボンプライシング導入は、同国に進出する多くの日系企業にとっても、サプライチェーン全体の脱炭素戦略見直しを迫る重要な転換点となる。

