2025年11月下旬からインドネシア・スマトラ島を襲った記録的な豪雨と土砂災害は、死者800人を超える未曾有の人道危機へと拡大している。プラボウォ・スビアント(Prabowo Subianto)大統領は直ちに国家的対応を指示したが、環境NGOや専門家は、この大惨事の原因を単なる「異常気象」ではなく、長年の森林破壊による「炭素吸収源(森林)の保水機能喪失」にあると指摘した。世界有数の熱帯雨林を抱え、森林由来のカーボンクレジット創出拠点としても注目される同国において、土地利用ガバナンスの脆弱性が露呈した形だ。
国家非常事態級の被害と政府の対応
インドネシア国家防災庁(BNPB)および現地報道によると、11月25日に発生した鉄砲水と地滑りによる死者数は、現地時間12月3日時点で804人に達し、依然として634人が行方不明となっている。被害はアチェ州、北スマトラ州、西スマトラ州の3州に広がり、数十万人が避難を余儀なくされた。
プラボウォ大統領は3日、この事態を「国家の最優先事項」と位置づけ、プラティクノ調整大臣(人間開発・文化担当)を通じ、全省庁、軍、警察に対し、救助と復旧に全リソースを投入するよう命じた。政府は正式な「国家災害」の宣言こそ明言していないものの、実質的な国家的オペレーションとして緊急資金と物資の投入を進めている。
「赤道付近のサイクロン」気候変動の激化
今回の豪雨の直接的なトリガーは、11月25日から27日にかけてマラッカ海峡で発生した熱帯サイクロン「Senyar」である。
環境NGOのグリーンピース・インドネシア(Greenpeace Indonesia)の森林キャンペーン責任者、アリエ・ロンパス氏は、「赤道から緯度5度以内という位置でサイクロンが影響を及ぼすのは極めて稀な現象だ」と指摘する。IPCCが警告するように、わずかな気温上昇が極端気象を増幅させており、今回の災害は気候危機がもはや「将来のリスク」ではなく「眼前の現実」であることを突きつけている。
CDR視点、失われた炭素ストックと森林ガバナンス
しかし、被害を壊滅的な規模に拡大させた真の要因として専門家が挙げるのが、「無秩序な土地利用転換(LULUCF)」である。森林はCO2を吸収・固定する巨大な炭素貯留庫(カーボンストック)であると同時に、土壌を保持し洪水を防ぐインフラでもある。
グリーンピースの分析によると、スマトラ島の森林ガバナンスには以下の深刻な欠陥がある。
- 炭素吸収源の激減
1990年から2024年の間に、北スマトラ州などの天然林の大部分が、パーム油農園、乾燥地農業、パルプ用植林地へと転換された。現在、スマトラ島全体で天然林は1,000万〜1,400万ヘクタール(島面積の30%未満)しか残っていない。 - 流域の機能不全
北スマトラの重要な水源であるバタン・トル(Batang Toru)流域では、過去30年で21%の森林が消失。現在、流域の28%にあたる9万4,000ヘクタールが鉱業や林業などの開発許可地となっており、年間の土壌侵食リスクは3,160万トンに上る。
これは、森林減少・劣化からの排出削減(REDD+)や、森林系カーボンクレジットのプロジェクト開発において極めて重大な懸念材料となる。森林が物理的に維持されなければ、クレジットの前提となる「永続性(Permanence)」は担保されず、気候変動適応策としての機能も果たせないからだ。
「偽の解決策」バイオ燃料への警鐘
さらに、グリーンピースの気候・エネルギー担当マネージャー、イクバル・ダマニク(Iqbal Damanik)氏は、政府が進める気候政策の一部を「偽の解決策」と厳しく批判した。
特に、カーボンニュートラルに向けた施策として推進される「バイオ燃料」や大規模な産業用農業団地(フードエステート)の開発は、西パプア州メラウケなどで新たな森林破壊を引き起こしていると指摘。「一部の利益のために環境を破壊する政策から、万人の生存を保証する政策へ転換しなければならない」と述べ、炭素排出を実質的に増加させる開発プロジェクトの即時停止を訴えた。
今後の展望と課題
プラボウォ政権は「8%の経済成長」を掲げているが、環境基盤が崩壊すればその達成は不可能となる。今回の災害は、森林破壊が生物多様性の損失だけでなく、国土の強靭性を奪い、経済活動そのものを脅かすことを証明した。
インドネシアが国際的なカーボンクレジット市場で信頼されるプレイヤーとなるためにも、また国民の生命を守るためにも、違法伐採の取り締まりだけでなく、「合法的な森林転換許可」の見直しを含めた抜本的なガバナンス改革が急務となる。

