ブラジル連邦最高裁判所(STF)は5月29日、保険会社等に技術準備金の一定割合をカーボンクレジットへ投資するよう義務づけた条項を違憲と判断した。カーボンクレジット市場法(法15,042/2024)第56条を無効とする決定であり、機関投資家の資金を強制的に市場へ振り向ける仕組みが司法によって退けられた。
第56条は、保険会社や補完年金事業体、資本化会社、国内再保険会社に対し、技術準備金および引当金の最低0.5%をカーボンクレジットに充てることを求めていた。条項は数十億ドル規模の資金をカーボンクレジット市場へ流入させる狙いを持つものだった。
全国保険連盟(CNseg)は2025年3月、この義務化が違憲であるとして違憲確認訴訟(ADI)をSTFに提起していた。CNsegの試算では、義務化により準備金から最大90億レアル(約2,770億円)が流出する見込みだった。同連盟は、これらの準備金が契約者への保険金・年金支払いに充てられる資金であり、他の目的に転用できないと主張した。
裁判官の多数がCNsegの主張を支持し、条項は自由競争や経済的自由といった憲法原則に反すると結論づけた。
CNseg会長のジオゴ・オリヴェイラ(Dyogo Oliveira)は、保険業界が持続可能性を優先課題に置く一方で、カーボンクレジットの強制購入は適切な手段ではないとの立場を示した。代替策として、保険市場に需要のあるグリーンボンドの発行を財務省に働きかけているという。
本件は、規制当局が特定の金融商品への投資を機関投資家に強制することの是非を問うものでもある。カーボンクレジット市場の需要を法律で創出する設計は、買い手の自発性を欠いたまま規模を確保しようとする点で、市場メカニズムとしての正統性に課題を残す。
第56条の成立経緯には疑念が向けられている。ブラジル史上最大の金融破綻に至ったバンコ・マスター(Banco Master)に関係する経営陣が、当初この条項の導入を働きかけていたことが捜査当局や現地報道で明らかになった。
捜査当局は、同行がカーボンクレジットをマネーロンダリングに利用していた疑いについても調べている。強制需要を生む条項が特定の利害関係者の働きかけによって法制度へ組み込まれた可能性は、市場の信認に直接かかわる。
今回の判断は第56条に限定されており、ブラジル排出量取引制度(SBCE)の構造的枠組みは維持される。財務省は2026年12月までに市場を規律する詳細規則を整備する予定としている。
制度はCO2換算で年間25,000トンを超えて排出する主要排出源を対象とし、キャップアンドトレード型の枠組みへの参加を求める。農業部門は義務的な排出削減目標の対象外とされている。
本件は、カーボンクレジット市場への強制需要メカニズムが違憲として確定した事例として位置づけられる。
機関投資家の準備金を法律で特定資産に振り向ける設計は、買い手の自発的な需要に支えられない規模拡大であり、価格形成と正統性の両面で無理を抱えていた。司法による無効化は、この歪んだ需要創出を是正したものと評価できる。
ただし、約2,770億円規模の確実な買い手が制度上から消えた事実も残る。SBCE本体が存続するとはいえ、ブラジルのカーボンクレジット需要の近い将来の見通しは、この決定によって下方に修正される。
加えて、条項の成立経緯にロビイングとマネーロンダリング疑惑が絡む点は、需要創出の手法そのものの健全性を問う。ブラジル市場が信認を保てるかは、需要を強制から自発へと組み替えられるかが左右する。