欧州船主協会(ECSA)をはじめとする主要な海運団体は2026年2月26日、欧州域内排出量取引制度(EU ETS)から得られる国家収入を、海運セクターの脱炭素化に特化して再投資するよう欧州委員会に強く求めた。これは、次世代燃料への投資リスク軽減と、信頼性の高いサプライチェーン構築を目的としたものだ。業界側は、2030年までに年間約100億ユーロ(約1.6兆円)に達する海運由来のETS収益を、他用途に流用させない「囲い込み(リングフェンス)」の法制化を迫っている。
海運業界が求めているのは、カーボンクレジットの創出や排出枠の購入に費やされる膨大な資金を、実質的な排出削減技術へ直接還元する仕組みである。具体的には、各国のオークション収益を活用し、再生可能燃料や低炭素燃料の生産・導入に対する金融保証を提供することを提言した。
現在、海運セクターの脱炭素化には2031年から2050年までの間に、年間約400億ユーロ(約6.4兆円)もの膨大な投資が必要と試算されている。しかし、規制の複雑さや先行投資に伴う高い資本コストが障壁となり、民間投資が停滞しているのが現状だ。EU ETSというカーボンクレジット市場の枠組みの中で、海運企業が支払うコストを、同セクターのクリーン技術開発へ「還流」させることで、この投資ギャップを埋める狙いがある。
今回の要求の背景には、2026年1月よりEU ETSの適用範囲が大幅に拡大されたことがある。これまでの二酸化炭素(CO2)に加え、メタン(CH4)や一酸化二窒素(N2O)の排出も監視対象に含まれることとなった。
また、排出枠の提出義務についてもフェーズインが進んでおり、2026年には前年度の排出量の70%に相当するカーボンクレジット(排出枠)を返還しなければならない。前年の40%から大幅に引き上げられたことで、企業の財務負担は急増している。航空セクターでは既にETS収益の一部がセクター支援に割り当てられており、海運業界もこれと同等の「公平な競争条件(レベルプレイングフィールド)」を求めている形だ。
さらに業界団体は、港湾のエネルギーハブ化を促進するため、グリーン燃料の供給設備や充電インフラへの資金投入も求めた。これは、EU域外の港湾に対する競争力を維持するために不可欠な要素である。
欧州委員会が近く発表する予定の「欧州産業海運戦略(European Industrial Maritime Strategy)」において、これらの収益還流メカニズムが正式に組み込まれるかどうかが焦点となっている。
欧州のこの動きは、カーボンクレジットを単なる「罰金」や「埋め合わせ」として終わらせず、産業競争力強化の原資へと転換しようとする野心的な試みである。日本企業、特に船舶部品や水素・アンモニア関連のサプライチェーンを担う中小企業にとっては、欧州市場でのクリーン技術需要が公的資金によって下支えされることを意味し、大きな商機となる。今後は、日本国内の排出量取引制度(GX-ETS)においても、収益の使途が企業の脱炭素投資にどれだけ直接還元されるかが、海運・物流業界の命運を分けるだろう。
