あるスマートフォンの真のカーボンフットプリントとは何でしょうか。それは、最終的な組立工場の電力消費だけではありません。世界中から調達される部品の製造、従業員の通勤、製品の輸送、そして私たちがそれを使って動画を観る際の電力消費まで、その製品の一生に関わる全ての排出が含まれます。この記事では、この広範な「サプライチェーン全体の排出量」を対象とする、企業の気候変動対策における最後の、そして最大のフロンティア「Scope3(スコープ3)排出量」について、その定義と重要性を解説します。Scope3排出量とは?Scope3排出量とは、一言で言うと「自社の直接的な排出(Scope1)でも、購入したエネルギーに由来する排出(Scope2)でもない、事業活動に関連する他社からの、あらゆる間接的な温室効果ガス(GHG)排出」のことです。「バリューチェーン排出量」とも呼ばれます。これは、自社が直接「管理」しているわけではないものの、その購買力や製品設計、取引関係を通じて、間違いなく「影響」を及ぼしている範囲の排出量です。GHGプロトコルは、このScope3を15のカテゴリーに分類し、企業が自らの影響の全体像を把握するための枠組みを提供しています。なぜScope3が重要なのか?Scope3は、企業の気候変動への取り組みを、表面的なものから本質的なものへと深化させる、極めて重要な概念です。フットプリントの大部分を占める存在小売業、金融、IT、アパレルといった多くの業種では、このScope3が、企業の総排出量の8〜9割以上を占めることが珍しくありません。Scope3を無視することは、自らの気候への影響の大部分を無視することに等しいのです。隠れたリスクと機会の発見Scope3を算定するプロセスは、自社のサプライチェーンに潜む気候関連リスク(例:特定の地域のサプライヤーが、将来の炭素税導入や異常気象で事業継続困難になるリスクなど)を特定する、強力な経営ツールとなります。同時に、サプライヤーと協力して効率化を図るなどの、新たなビジネスチャンスを発見することにも繋がります。サプライチェーン全体の脱炭素化を促進(国際開発の視点)これが最も重要なインパクトです。グローバル企業が「Scope3を削減する」と宣言することは、その影響力を通じて、世界中に広がる何千ものサプライヤー(その多くは途上国にあります)に対し、脱炭素化を促す強力なインセンティブとなります。これは、大企業がサプライヤーに対し、資金や技術を提供して共に削減を目指す「カーボンインセッティング」という、新しい協力関係を生み出します。Scope3の「15のカテゴリー」GHGプロトコルは、Scope3を、事業活動の上流と下流に分け、15のカテゴリーを定義しています。以下に、その代表的なものを紹介します。上流(Upstream)の活動カテゴリー1:購入した製品・サービス:製品の原材料や部品の製造、外部委託したサービスの提供などにかかる排出。多くの場合、これがScope3の中で最大の項目となります。カテゴリー3:Scope1, 2に含まれない燃料・エネルギー関連活動:購入した電気や燃料が、採掘・精製・輸送されるまでにかかる排出。カテゴリー6:出張:従業員の飛行機や鉄道、ホテル利用など。カテゴリー7:雇用者の通勤:従業員が自宅と職場の往復に使う交通機関からの排出。下流(Downstream)の活動カテゴリー9:輸送、配送(下流): 販売した製品を、最終的な消費者に届けるまでの輸送からの排出。カテゴリー11:販売した製品の使用: 販売した製品(例:自動車、家電製品、ソフトウェア)が、顧客によって使用される際に消費するエネルギーからの排出。カテゴリー12:販売した製品の廃棄: 販売した製品が、使用後に廃棄・リサイクルされる際の排出。算定の難しさと今後の動向最大の課題:データ収集Scope3算定の最大のハードルは、サプライチェーン全体から正確なデータを収集することの困難さにあります。そのため、多くの企業はまず、業界平均値などを用いた推計から始め、主要なサプライヤーから一次データを収集していく、という段階的なアプローチをとります。サプライヤー・エンゲージメントの重要性Scope3の削減は、自社だけでは決して達成できません。サプライヤーと協力し、排出量の算定方法を共有し、共に削減目標を設定していく「サプライヤー・エンゲージメント」が、成功の鍵となります。メリットと課題メリット企業の気候への影響とリスクの全体像を、包括的に把握できる。サプライチェーン全体で、最も効果的な削減のポイント(ホットスポット)を特定できる。サプライヤーとの協力を通じて、業界全体の脱炭素化を主導できる。デメリット(課題)データ収集が極めて複雑で、多大なリソースを要する。自社が直接管理できない範囲の排出量であるため、削減のコントロールが難しい。異なる企業間で、同じ排出量が二重計上されないよう、注意深い会計処理が必要。まとめと今後の展望本記事では、Scope3が、企業の直接的な活動の範囲を超えた、サプライチェーン全体の排出量を対象とする、包括的かつ最も重要な排出カテゴリーであることを解説しました。【本記事のポイント】Scope3は、Scope1,2以外の全ての間接排出を指し、サプライチェーン排出量とも呼ばれる。多くの場合、企業の総排出量の大部分を占める。その算定は15のカテゴリーに分類され、データ収集が最大の課題。Scope3の削減には、サプライヤーとの協働(インセッティングなど)が不可欠。企業の気候変動に対する責任が、自社の煙突から、その影響が及ぶ世界の隅々にまで広がっていると認識されるようになった今、Scope3への取り組みは、もはや一部の先進企業の活動ではありません。それは、企業の真の持続可能性と、その気候変動への本気度を測る、新しいグローバルスタンダードです。国際開発の視点からも、この潮流は、先進国のグローバル企業が、途上国のサプライヤーの脱炭素化を支援し、共に成長していくための、これまでで最も強力な駆動力となる可能性を秘めています。