世界の気候変動対策は、蛇口から出る水を「止める」だけでは不十分な段階にきています。浴槽に溜まってしまった水を「抜く」作業も同時に始めなければ、温暖化という名の洪水は防げません。この記事では、この「浴槽の水を抜く」行為にあたる「CDR(Carbon Dioxide Removal、二酸化炭素除去)」について、それがなぜ必要なのか、そしてどのような方法があるのか、その全体像を解説します。CDR(二酸化炭素除去)とは?CDRとは、一言で言うと「大気中に既に存在するCO2を、様々な方法で能動的に取り除き、長期間にわたって安定的に貯留すること」を指す、あらゆるアプローチの総称です。1ここで極めて重要なのは、「排出削減(Emission Reduction)」との違いです。排出削減:これから大気中に出るはずのCO2を「減らす」対策(例:省エネ、再生可能エネルギーへの転換)。蛇口を「閉める」行為。CDR:既に大気中にあるCO2を「取り除く」対策。浴槽の栓を「抜く」行為。2この両輪があって初めて、大気中のCO2濃度を下げ、気候を安定化させることが可能になります。CO2の除去量が排出量を上回った状態が「ネガティブエミッション」です。なぜCDRが重要なのか?IPCCの報告書は、世界の平均気温上昇を1.5℃に抑えるというパリ協定の目標達成には、今世紀半ば以降、大規模なCDRが不可欠であると結論付けています。削減困難な残余排出量の相殺鉄鋼、セメント、航空、農業など、技術的・経済的に排出量をゼロにすることが極めて困難な「ハード・トゥ・アベイト産業」がどうしても残ります。これらの残余排出量を相殺(ニュートラライズ)し、社会全体で「ネットゼロ」を達成するためにCDRが必要です。過去の排出(歴史的排出)の清算気候を長期的に安定させるには、産業革命以降に人類が排出し、大気中に蓄積されてきたCO2を最終的には取り除いていく必要があります。CDRは、この「過去の負債」を返済できる唯一の手段です。「オーバーシュート」への備えもし世界の気温上昇が一時的に1.5℃の目標を超えてしまった場合(オーバーシュート)、その後、大規模なCDRを実施することで、気温を再び目標値まで引き下げるための重要な選択肢となります。CDRの主な種類(アプローチのポートフォリオ)CDRには単一の特効薬はなく、様々なアプローチを組み合わせた「ポートフォリオ」で取り組むことが重要です。それぞれに、コスト、除去能力、共同便益などの特徴が異なります。自然の力を活用するアプローチ(Nature-based Solutions)植林・再植林(Reforestation/Afforestation):木を植え、森林生態系に炭素を吸収・固定させる、最も伝統的で分かりやすいCDR。ブルーカーボン(Blue Carbon):マングローブ林や藻場といった海洋生態系の保護・再生を通じて、炭素を吸収・貯留する。土壌炭素貯留(Soil Carbon Sequestration):被覆作物の作付けや不耕起栽培といった持続可能な農業を実践し、土壌中の有機物(炭素)を増やす。3テクノロジーを活用するアプローチDACCS(直接空気回収・貯留):「大気の掃除機」でCO2を直接回収し、地中深くに貯留する。BECCS(バイオエネルギーCCS):バイオマス発電とCO2回収・貯留を組み合わせ、ネガティブエミッションを実現する。バイオ炭(Biochar):バイオマスを熱分解して炭にし、土壌に貯留する。土壌改良効果も高い。風化促進(Enhanced Weathering): 特定の岩石を細かく砕いて農地などに散布し、CO2を吸収する化学反応を人為的に加速させる。国際的な動向と日本の位置づけ世界の動向米国政府によるDACハブへの巨額投資や、Microsoft、Stripeなどが主導するCDR購入基金「Frontier」の設立など、官民双方でCDR市場の創出と技術開発への投資が爆発的に加速しています。日本の戦略日本政府もGX戦略の中でCDRを重要技術と位置づけ、特にDACCSやCCUS、ブルーカーボン、バイオ炭などの研究開発・社会実装を支援する方針を明確にしています。メリットと課題メリットネットゼロ達成と、その先の気候安定化に不可欠な手段。自然由来の方法は、生物多様性の保全など豊かな共同便益をもたらす。技術由来の方法は、新たなグリーン産業を創出し、経済成長に貢献する可能性がある。デメリット(課題)圧倒的な規模の必要性:IPCCが示すシナリオでは、2100年までに数百億~数千億トンという、現在の能力をはるかに超える規模のCDRが必要。コストとエネルギー:DACCSなど多くの技術はまだ非常に高コストで、稼働に大量のクリーンエネルギーを必要とする。持続可能性とガバナンス:BECCSの土地利用問題のように、各CDRアプローチには固有の環境・社会的なリスクが伴う。これらを管理するための国際的なガバナンスの構築が急務。まとめと今後の展望本記事では、CDR(二酸化炭素除去)が、もはや「あれば望ましい」選択肢ではなく、気候危機を乗り越えるために「不可欠な」要素であることを解説しました。【本記事のポイント】CDRは、大気中からCO2を「取り除く」活動の総称で、排出削減とは異なる。ネットゼロ達成や過去の排出分の相殺に不可欠。植林のような自然由来のものから、DACCSのような技術由来のものまで、多様なアプローチがある。世界は今、このCDR市場をいかにして持続可能かつ公正な形で、大規模にスケールアップさせるか、という壮大な挑戦の入り口に立っている。CDRは、私たちの世代が未来の世代に対して負う責任を果たすための、具体的な手段の一つです。今後、どのCDR手法を、どの場所で、どれだけ、どのように展開していくか。その選択には、科学的な合理性だけでなく、国際社会の公平性や倫理観が強く問われることになります。