世界の鉄鋼、セメント、化学製品といった産業は、私たちの現代社会に不可欠ですが、その生産プロセスから大量のCO2が排出されます。再生可能エネルギーへの転換だけでは解決できない、これらの「ハード・トゥ・アベイト(排出削減困難)」な産業をどう脱炭素化するのか。この記事では、その最も有力な解決策の一つとして期待される技術「CCS(炭素回収・貯留)」について、その仕組みと国際的な重要性を解説します。CCSとは?CCS(Carbon Capture and Storage)とは、一言で言うと「大規模な排出源からCO2を分離・回収し、大気から隔離された地中深くに長期間安定的に貯留する技術」の総称です。このプロセスは、大きく分けて3つのステップで構成されます。回収 (Capture):発電所や工場の排ガスなどから、特殊な化学液体などを用いてCO2だけを分離・回収します。輸送 (Transport):回収したCO2をパイプラインや専用の船舶で貯留地まで運びます。貯留 (Storage):地上から1,000メートル以上の深さにある、上部を固い岩盤(遮蔽層)で覆われた多孔質の地層(貯留層)にCO2を圧入し、半永久的に封じ込めます。なお、回収したCO2を貯留(Storage)せず、製品の原料などに有効活用(Utilization)する技術はCCUと呼ばれ、貯留と利用を組み合わせた概念をCCUSと呼びます。なぜCCSが重要なのか?CCSは、単なる選択肢の一つではなく、2050年ネットゼロ目標を達成するための「不可欠な技術」として、IEA(国際エネルギー機関)をはじめとする世界の主要機関がその重要性を強調しています。ハード・トゥ・アベイト産業の切り札鉄鋼やセメントなどの産業では、化学反応の結果としてCO2が必然的に発生するため、燃料転換だけでは排出ゼロにできません。CCSは、こうした産業から排出されるCO2を直接的に削減できる、現在最も現実的な大規模対策です。エネルギー安全保障との両立多くの国にとって、エネルギー供給の安定性は最優先課題です。CCSは、既存の化石燃料インフラを活用しつつ、その排出インパクトを大幅に低減できるため、エネルギー安全保障と気候変動対策を両立させながら、より秩序だったエネルギー移行を進めることを可能にします。新たな産業と雇用の創出CCSハブやクラスターといった大規模なインフラの構築は、新たな産業を創出し、技術開発やプラントの維持管理などで多くの雇用を生み出す可能性を秘めています。これは、産業構造の転換を目指す国や地域にとって重要な開発機会となり得ます。CCSの仕組みと安全性回収・貯留技術CO2の回収には、燃焼後の排ガスから吸収する「ポストコンバスチョン」方式が一般的ですが、より効率的な新技術の開発も進んでいます。貯留場所としては、過去に石油や天然ガスを貯めていた地層(枯渇したガス田など)や、塩水で満たされた地層(帯水層)が適しているとされ、その地質構造は数十年にわたる石油・ガス開発の知見によって詳細に把握されています。安全性の確保CO2の地中貯留の安全性は、綿密な地質調査、注入中の圧力監視、そして注入後の長期的なモニタリングによって担保されます。CO2が漏洩するリスクを最小限に抑え、万が一の事態にも対応できる管理体制の構築が、事業の前提条件となります。国際的な動向と日本の戦略世界の動向米国やカナダ、ノルウェー、英国などがCCS技術の開発と実用化で世界をリードしています。特にノルウェーの「ノーザンライツ」プロジェクトは、欧州各国の産業排出物を集めて貯留する、国境を越えた大規模なCCSハブとして注目されています。日本の国家戦略日本政府は「CCS長期ロードマップ」を策定し、2030年までの事業開始を目標に掲げています。2024年には、国内7カ所が先進的なCCSプロジェクトの候補地点として選定され、苫小牧沖などが具体的な貯留有望地として調査が進んでいます。複数の企業が連携してCO2の回収・輸送・貯留インフラを共有する「ハブ&クラスター」モデルの構築が計画されています。メリットと課題メリット直接的かつ大規模な排出削減: 排出源から直接CO2を回収するため、大規模な削減効果が期待できる。既存インフラの活用: 既存の産業インフラや雇用を維持しながら、脱炭素化を進めることができる。技術的な実績: CO2の圧入・貯留に関する基本技術は、石油・ガス業界で長年の実績がある。デメリット(課題)莫大なコスト: 回収プラントや輸送インフラの建設・操業には莫大な費用がかかり、現状では政府による手厚い支援や高いカーボンプライスがなければ事業として成立しない。社会的受容性の確保: CO2の地中貯留に対する、地域住民の安全性への懸念や不安を払拭し、理解を得るための丁寧な対話プロセスが不可欠。エネルギー・ペナルティ: CO2を回収するプロセス自体がエネルギーを消費するため、発電所などのエネルギー効率が低下する。まとめと今後の展望本記事では、CCSがハード・トゥ・アベイト産業の脱炭素化に不可欠な技術であり、世界中でその社会実装が加速していることを解説しました。【本記事のポイント】CCSは、CO2を「回収」「輸送」「貯留」する一連の技術。鉄鋼・セメントなど、排出削減が困難な産業にとっての切り札である。日本も2030年の事業開始を目標に、国家戦略として推進している。コストと社会的受容性が、普及に向けた二大課題である。CCSは万能薬ではありませんが、IEAが示すように、ネットゼロへの道筋において避けては通れない重要なピースです。今後10年で、コストをいかに低減し、安全な大規模操業の実績を積み重ねられるかが、この技術が真に世界の気候変動対策の柱となれるかの試金石となるでしょう。