ボランタリーカーボンクレジット市場(VCM)における信頼性の確保は、長らく議論の中心にあった課題である。2025年12月、市場の健全化を牽引する国際的な独立統治機関であるICVCMが、「インパクトレポート2025」を発表した。
本レポートは、ICVCMが策定した厳格な品質基準であるCCPsが、いかに市場を変革し、信頼を回復させ、そして実際の気候変動対策と持続可能な開発に寄与しているかを包括的に示している。
本稿では、公開されたばかりのレポートに基づき、CCPラベルが付与されたカーボンクレジットの市場価値、認証プログラムの動向、そして各国の規制との統合について詳細に解説する。
市場における「高信頼性」の価値とCCPラベルの拡大
ICVCMが掲げるCCPは、ガバナンス、排出への影響、持続可能な開発という3つの重要な側面をカバーする10の原則から構成されている。これらは、高信頼性を持つカーボンクレジットを識別するための世界的な基準として機能している。
レポートによると、2025年11月時点で、CCP承認済みの方法論を使用したカーボンクレジットの総量は5,100万トンに達したと推計されている。これは2024年の市場における発行量の約4%に相当するが、承認された方法論に基づくパイプラインには数億トン規模のカーボンクレジットが控えており、今後さらなる供給拡大が見込まれている。
特筆すべきは、CCPラベルが付与されたカーボンクレジットに対する市場の評価である。クリアブルー・マーケッツ(ClearBlue Markets)およびカリックス・グローバル(Calyx Global)の分析によると、CCPラベル付きのカーボンクレジットは、他のカーボンクレジットと比較して平均で最大25%の価格プレミアムを獲得している。
これは、バイヤーが「品質」と「信頼」に対して明確な価値を見出し、より高い対価を支払う意思を持っていることを示唆している。実際に、埋立地ガス(LFG)由来のカーボンクレジットでは、2024年のCCP承認後に価格が35%上昇した事例も報告されており、高信頼性が市場価値に直結していることがデータとして裏付けられた形だ。
厳格な審査と主要プログラムの刷新
CCPラベルが付与されるためには、カーボンクレジットを発行する認証機関と、プロジェクトが使用する方法論の両方がICVCMの審査を通過しなければならない。
現在までに、アメリカン・カーボン・レジストリー(ACR)、アーキテクチャ・フォー・REDD+・トランザクションズ(ART)、クライメート・アクション・リザーブ(CAR)、ゴールドスタンダード(Gold Standard)、ベラ(Verra)が運営するVCS(Verified Carbon Standard)など、主要な7つのプログラムがCCP適格として承認されている。さらに、これらプログラムの下で運用される36の方法論がCCPの要件を満たすものとして承認された。
このプロセスを通じて、各プログラムはガバナンスの強化、透明性の向上、社会的セーフガードの改善など、運営体制の抜本的な見直しを行った。つまり、CCPの存在自体が、個別のプロジェクトだけでなく、カーボンクレジット市場全体のインフラストラクチャの質を底上げする役割を果たしているのである。
コンプライアンス市場との統合と政策への反映
本レポートで強調されているもう一つの重要な動向は、ボランタリー市場とコンプライアンス市場の融合である。かつては独立して機能していたこれらの市場だが、現在では各国の政府や規制当局が、自国の気候変動対策の枠組みの中にCCPを参照基準として取り入れ始めている。
例えば、英国政府はボランタリーカーボンクレジット市場および自然市場に関する協議において、CCPを高潔性の最低基準として支持する方針を示している。また、シンガポール政府は、パリ協定第6条に基づく国が決定する貢献(NDC)の達成に向けて、CCPラベル付きカーボンクレジットを購入する意向を表明しており、同国の金融管理局(MAS)もトランジション・クレジットにおけるCCP準拠を求めている。
このように、CCPは単なる民間主導の基準にとどまらず、パリ協定第6条や各国の炭素税、排出量取引制度(ETS)と連携するための「世界共通言語」としての地位を確立しつつある。これにより、プロジェクト開発者は複数の市場にアクセスが可能となり、市場の流動性と透明性が向上することが期待される。
現場における社会的・経済的インパクト
高潔なカーボンクレジットの意義は、温室効果ガスの削減にとどまらない。レポートでは、CCP承認済みの方法論を採用したプロジェクトが、地域社会に具体的な利益をもたらしている事例が紹介されている。
ブルキナファソで実施されているアグロフォレストリープロジェクト「トンド・テンガ(Tond Tenga)」は、その好例である。このプロジェクトでは、劣化した土地の回復を通じて二酸化炭素を除去するだけでなく、地域住民に直接的な経済的利益をもたらしている。今後40年間で、地域コミュニティに対して3,000万米ドル(約45億円)以上の直接的な経済効果が見込まれており、その収益の100%がコミュニティに還元される仕組みとなっている。参加する農家からは、森林活動による収入が家畜や食料の購入、教育費、医療費に充てられているとの声が上がっており、カーボンクレジットが貧困削減と気候変動対策の両立を実現する手段となっていることがわかる。
また、タンザニアの「マカメ・サバンナ(Makame Savannah)」REDD+プロジェクトでは、収益によって診療所や学校の寮が建設され、密猟防止のためのスカウト雇用が創出されるなど、地域インフラと雇用の改善に貢献している。これらの事例は、CCPが求める「持続可能な開発への貢献」が、単なるスローガンではなく実体のある成果を生んでいることを証明している。
高潔性は目的地ではなく、継続的な取り組みである
ICVCMのインパクトレポート2025は、ボランタリーカーボンクレジット市場が「信頼の回復」というフェーズを超え、実質的な気候変動対策と経済的価値を生み出す新たなステージに移行したことを示している。
5,100万トンというCCP適格クレジットの規模や、25%という価格プレミアムは、市場が「質」を重視する方向へと確実にシフトしている証左である。また、各国の政策へのCCPの採用は、この基準が将来の規制市場においても重要な役割を果たすことを示唆している。
ICVCM運営評議会の議長であるアネット・L・ナザレス(Annette L. Nazareth)氏が述べるように、「高潔性(インテグリティ)は目的地ではなく、学習、包摂、革新への継続的な取り組み」である。市場参加者にとって、CCPに準拠することはもはやオプションではなく、市場で生き残り、成長するための必須条件となりつつある。これからのカーボンクレジット市場は、この確固たる基盤の上で、さらなる拡大と進化を遂げていくことになるだろう。
参考:https://icvcm.org/engagement-impact/ccp-impact-report-2025/#report

