ブルーカーボン特集:第4章 – 生物学的アプローチ④ 沖合養殖とバイオ炭化技術 ブルーカーボンをギガトン級へ拡張する道

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【キーワード定義】

  • 沖合養殖(Offshore Aquaculture):沿岸から離れた、より水深が深く外洋環境の影響を受ける海域で行う養殖。広大な面積を利用できる一方、技術的・経済的ハードルが高い。
  • バイオ炭(Biochar):バイオマス(生物資源)を低酸素または無酸素の状態で熱分解(約300~700℃)して作られる、炭素を豊富に含む固形物。非常に安定しており、数百年から千年以上炭素を貯留できる。
  • 熱分解(Pyrolysis):酸素がない、あるいは極めて少ない状態で有機物を加熱し、化学的に分解させるプロセス。バイオ炭製造の基盤技術。

【導入】

これまでの章で、ブルーカーボンの「永続性」や「ダブルカウント」といったカーボンクレジット化の核心的課題を論じてきた。沿岸域での活動には物理的な限界があり、製品利用には複雑な会計規則が伴う。

これらの課題を乗り越え、ブルーカーボンを単なる実証プロジェクトから地球規模の気候変動対策へとスケールアップさせるためには、根本的な発想の転換が必要である。その鍵を握るのが、「沖合養殖」による生産規模の抜本的拡大と、「バイオ炭化技術」による確実な炭素の長期固定だ。本章では、この二つの技術を組み合わせることで、いかにして質の高いカーボンクレジットを大量に創出できるかを論じる。

【1. 科学的原理と国際的文脈】

このアプローチは、二段階のプロセスから構成される。

第一段階は、広大な排他的経済水域(EEZ)などの沖合で海藻を大規模に養殖し、大量のバイオマスを収穫すること。これにより、沿岸域の生態系との競合や利用可能な面積の制約といった問題を克服する。

第二段階は、収穫した海藻を陸上で熱分解し、安定した炭素の塊である「バイオ炭」に変換することである。このバイオ炭を土壌改良材などとして利用することで、海藻が固定した炭素を数百年以上にわたり、検証可能な形で陸域に貯留する。

国際動向

IPCCは、バイオ炭の土壌施用を、信頼性の高い二酸化炭素除去(CDR)技術の一つとして既に認めている。国際的なカーボンクレジット市場においても、プロアース(Puro.earth)などの専門認証機関がバイオ炭に関する方法論を策定し、高価格なカーボンクレジットが取引されている。

また、米国エネルギー省のARPA-E(高等研究計画局エネルギー)は、沖合での大規模海藻養殖をバイオ燃料生産の基盤技術と位置づけ、巨額の研究開発投資を行っており、その技術はカーボンクレジット創出にも直接応用可能である。

【2. カーボンクレジット化の論点】

沖合養殖とバイオ炭化の組み合わせは、これまでの課題の多くを解決する可能性を秘めている。

永続性(Permanence)の解決

バイオ炭の炭素は極めて安定しており、分解されにくいため、ベラ(Verra)などが求める「100年ルール」を余裕をもってクリアできる。深海沈降のような自然プロセスに依存せず、工学的なプロセスによって永続性を担保できる点が最大の強みである。

ダブルカウント(Double Counting)の回避

バイオ炭の主目的は「炭素の貯留」そのものであり、化石燃料の代替といった「排出削減」とは明確に区別される。そのため、前章で論じたような製品利用に伴うダブルカウントのリスクを根本的に回避し、CDRクレジットとして純粋な価値を主張できる。

MRVの明確化

測定の対象が、変動の激しい海中から、管理された陸上のプラントへと移る。投入した海藻バイオマスの重量と炭素含有率、そして生産されたバイオ炭の重量と炭素含有率を測定することで、貯留された炭素量を極めて正確に定量化できる。これにより、MRVの信頼性とコスト効率が劇的に向上する。

【3. 日本市場の展開と政策環境】

世界有数のEEZ面積を誇る日本にとって、沖合養殖は未開拓の巨大なポテンシャルを秘めている。台風や強い海流(黒潮など)に耐えうる強靭な養殖システムの開発が鍵となる。

日本市場

国内では、J-クレジット制度の中に「バイオ炭の農地施用」という方法論が既に存在し、主に森林由来の木質バイオマスを原料としたクレジットが創出されている。この既存の制度的枠組みを、海藻由来のバイオ炭に応用できる可能性は高い。

また、政府の「グリーン成長戦略」では、沖合養殖を含む次世代の漁業・養殖技術の開発が重点項目として挙げられている。現状では、スタートアップ企業や研究機関が小規模な沖合養殖の実証実験を開始した段階だが、今後、技術開発と政策的支援が一体となれば、新たな巨大産業へと発展する可能性がある。

【4. 経済的実行可能性とリスク】

このモデルは、高いクレジット価値を期待できる一方、相応の設備投資を必要とする。

コスト構造

主なコストは、

  1. 沖合養殖施設の建設・維持管理費
  2. 大型の収穫船の運用コスト
  3. 陸上での熱分解プラントの建設・操業コスト
  4. バイオ炭の輸送・散布コスト

から成る。

特に、初期の設備投資(Capex)が事業の大きなハードルとなる。

収益性

収益は、高品質・高永続性な「CDRクレジット」の販売が主軸となる。これらのクレジットは、一般的な排出削減クレジットよりも高価格で取引される傾向があり、高い初期投資を回収できる可能性がある。

リスク要因

技術的リスクとして、過酷な沖合環境での養殖施設の破損やバイオマスの流出が挙げられる。経済的リスクとしては、カーボンクレジット価格の将来的な変動がある。また、大規模な沖合養殖が海洋生態系や航路に与える影響については、慎重な環境アセスメントが不可欠である。

【5. 今後の展望と次ステップへの布石】

沖合養殖とバイオ炭化技術の融合は、ブルーカーボンを「沿岸の生態系サービス」から「海洋を利用した大規模な炭素除去産業」へと変貌させる可能性を秘めている。技術的なハードルは高いが、永続性MRV、二重計上といったクレジット化の根本課題に対する、現時点で最も有望な解の一つと言えるだろう。

しかし、この壮大な仕組みの効率は、結局のところ、出発点である「海藻」そのものの性能に大きく依存する。単位面積あたり、どれだけ速く、どれだけ多くの炭素を固定できるか。この生物学的な生産性を最大化できなければ、経済性は成り立たない。そこで次章では、より優れた海藻を創り出す「育種」や、異なる生物を組み合わせることでシステム全体の生産性を高める「複合養殖(IMTA)」といった、生物学的アプローチのさらなる深化を探求する。

【ブルーカーボンクレジット創出への接続】

認証スキームとの関係

このアプローチは、Verraなどの基準において最も評価の高いCDRクレジットの創出を可能にする。特にバイオ炭化は永続性を工学的に担保する手段として、方法論上、非常に強固な根拠を提供する。

クレジット発行プロセスにおける役割

測定・報告・検証(MRV)プロセスが、不確実性の高い海洋環境から管理された陸上施設へと移行するため、データの信頼性が格段に向上する。これにより、第三者検証機関による審査をスムーズに通過しやすくなる。プロジェクト設計書(PDD)において、炭素の固定から最終的な貯留まで、一貫した物質収支を明確に記述できる。

本章で示した「大規模化」の仕組みを経済的に成立させるためには、その入力となるバイオマスの生産効率を極限まで高める必要がある。次章で扱う「育種」や「IMTAモデル」は、このシステムのエンジン部分、すなわち生物の生産性を向上させるための重要な技術要素となる。