ブルーカーボン特集:第18章 – DOC電気化学的アプローチ ③副産物としての水素 新たな経済価値の創出とビジネスモデルの変革

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【キーワード定義】

  • グリーン水素 (Green Hydrogen): 再生可能エネルギー由来の電力を用いて、水を電気分解して製造される水素のこと。製造過程でCO2を排出しないため、真のクリーンエネルギーとして期待されている。
  • 二重計上 (Double Counting): 一つの排出削減量を、複数の主体や制度の下で重複して主張・算定すること。カーボンクレジットの信頼性を損なうため、国際的なルールで厳しく禁止されている。
  • 水素経済 (Hydrogen Economy): 水素を、電力やガスと並ぶ主要なエネルギー源として社会の様々な場面で利用する経済システム。脱炭素社会の実現に向けた重要な柱とされる。

【導入】

前章では、電気化学的DOCプラントの心臓部である電極の性能を維持し、長期安定稼働を実現するための「守り」の技術を深掘りした。しかし、プロジェクトの成功は、技術的な信頼性の確保だけでは約束されない。経済的な実行可能性、すなわち「攻め」の戦略が不可欠である。電気化学的アプローチは、その原理上、CO2除去という主目的と同時に、もう一つの極めて価値ある生成物を生み出す。それが、次世代のクリーンエネルギーとして期待される「水素」である。本章では、この副産物がプロジェクト全体の経済性をいかに変革し、新たなビジネスモデルを創出するのか、その価値と可能性に焦点を当てる。

【1. 科学的原理と国際的文脈】

電気化学的DOCプロセスにおける水素の生成は、意図的な副産物というより、むしろ原理的な必然である。陰極(カソード)では、CO2分離の引き金となるアルカリ(OH⁻)を生成するために、水の還元反応(電気分解)が起こる。その化学式は以下の通りである。

2H₂O + 2e⁻ → H₂ (気体) + 2OH⁻

つまり、システムが稼働してCO2を除去している限り、陰極表面では同時に水素ガスが生成され続ける。このプロセスで再生可能エネルギー由来の電力を使用すれば、生成される水素は「グリーン水素」となる。これは、単なる副産物を超え、プロジェクトを「炭素除去プラント」から「クリーンエネルギー生産プラント」へと昇華させる可能性を秘めている。

Global Context (国際的文脈):

世界は今、脱炭素化の切り札として「水素経済」への移行を加速させている。国際エネルギー機関(IEA)の報告によれば、2050年のカーボンニュートラル達成には、クリーン水素の生産量を現在の数十倍に拡大する必要がある。米国のEquatic社は、DOCによる炭素除去とグリーン水素生産を組み合わせたビジネスモデルを明確に打ち出し、炭素クレジットと水素販売という二つの収益源を追求する戦略で、多額の資金調達に成功している。

【2. カーボンクレジット化の論点】

副産物の存在は、カーボンクレジットの会計処理を格段に複雑にする。特に「二重計上」の回避が絶対的な原則となる。

  • 副産物の炭素会計: 生成された水素を販売し、それが例えば化石燃料由来のグレー水素を代替することでCO2排出削減に貢献した場合、その削減効果は水素の「購入者」に帰属する。DOCプロジェクト側が、自らのCO2「除去」量に加えて、この「削減」量まで合算してクレジット申請することは、典型的な二重計上であり許されない。
  • システム境界の明確化: クレジット化の対象は、あくまで「海水からのCO2純除去量」に限定される。プロジェクト設計書(PDD)では、システム境界を明確に定義し、水素の生産・販売はプロジェクトの経済性を担保するための一要素ではあるが、クレジット算定の対象外であることを明記する必要がある。
  • 追加性の論理補強: 副産物による収益は、プロジェクトの「追加性(additionality)」を補強する強力な論拠となりうる。すなわち、「炭素クレジット収入だけでは、このプロジェクトは経済的に成立しなかった。しかし、グリーン水素販売による収益と組み合わせることで初めて事業化が可能になった」というストーリーは、プロジェクトがクレジット制度なしには実現しなかったことを説得力をもって示す。

【3. 日本市場の展開と政策環境】

国を挙げて水素社会の実現を目指す日本にとって、DOC由来のグリーン水素は魅力的な選択肢となりうる。

Japan Focus (日本市場文脈):

日本政府は「グリーン成長戦略」の中核に水素を位置づけ、発電、産業、運輸といった幅広い分野での水素利用を推進している。特に、既存の火力発電に水素やアンモニアを混焼する取り組みや、燃料電池自動車(FCV)の普及が進められており、国内のグリーン水素需要は今後急増が見込まれる。沿岸の発電所や工業地帯にDOCプラントを併設し、そこで生産したグリーン水素をパイプラインで直接供給する、といった地産地消モデルは、輸送コストを削減し、日本のエネルギー自給率向上にも貢献する極めて有望なシナリオである。

【4. 経済的実行可能性とリスク】

水素という新たな収益源は、プロジェクトの経済モデルを根本から変える。

  • デュアル収益モデルの確立: プロジェクトの収益は、変動する炭素クレジット価格と、同様に変動する水素市場価格の二つに依存することになる。この「デュアル収益モデル」は、一方の市場が低迷した際のリスクを分散させる効果が期待できる。
  • 水素の精製・貯蔵・輸送コスト: 電解槽から発生する水素は、利用するためには精製して純度を高め、高圧で貯蔵・輸送する必要がある。これらの追加的な設備投資(CAPEX)と運転コスト(OPEX)は、事業計画において正確に見積もる必要がある。
  • 市場リスク: 水素の価格は、将来の技術革新や政策、国際情勢によって大きく変動する。長期的な販売契約を確保できるかが、プロジェクトの収益安定性を左右する。

【5. 今後の展望と次ステップへの布石】

副産物としての水素は、電気化学的アプローチを、単なる環境技術から、経済的に自立可能なエネルギー事業へと変貌させる起爆剤である。炭素除去とクリーンエネルギー生産という二つの価値を同時に創出するこのビジネスモデルは、投資家にとって極めて魅力的であり、技術の社会実装を加速させるだろう。

しかし、この魅力的なモデルも、その根源をたどれば一つの共通の課題に行き着く。CO2の除去も、水素の生成も、全ては投入される「電力」に依存している。しかも、その電力は安価で、クリーンで、そして膨大な量でなければならない。次章では、この壮大な構想を実現するための絶対的な前提条件であり、最大の制約条件でもある「大量の電力」という問題に正面から向き合う。

【ブルーカーボンクレジット創出への接続】

  • 認証スキームとの関係:
    プロジェクトの方法論において、副産物(水素)の取り扱いに関する会計方針を明確に記述する必要がある。二重計上を回避するためのロジックが、**妥当性確認(Validation)**における重要な審査項目となる。
  • クレジット発行プロセスにおける役割:
    **検証(Verification)**の際、検証員はCO2除去量のデータと同時に、水素の生産・販売量に関する記録も確認する。これは、PDDに記述された事業モデル全体が計画通りに運営されていることを証明し、プロジェクトの透明性を担保するためである。

次ステップとの関係:
本章は、プロジェクトの「収益性(Profitability)」を高める副産物の価値を明らかにした。次章では、その収益モデルの根幹を支える最大のコスト要因であり、技術的ボトルネックでもある「エネルギー供給(Energy Supply)」という課題に焦点を移す。