【キーワード定義】
- 永続性 (Permanence): クレジット化された炭素吸収・貯留量が、大気中に再放出されることなく、規定された長期間(通常100年以上)にわたって維持されること。非永続的な炭素除去は、気候変動緩和への貢献が認められない。
- 炭素貯留 (Carbon Sequestration): 大気中から吸収された炭素が、海洋、土壌、生物圏などに長期間にわたって蓄えられるプロセス。
- Verra: カーボンクレジットの主要な国際基準認証機関の一つ。「Verified Carbon Standard (VCS)」プログラムを運営し、プロジェクトの品質と信頼性を担保するための方法論や規則を策定している。
【導入】
前章では、海藻や藻類が光合成によって二酸化炭素を「固定」する、ブルーカーボンの出発点を解説した。しかし、カーボンクレジットの世界では、単に炭素を吸収しただけでは価値として認められない。その固定された炭素が、いかに長期間、大気から隔離され続けるか、すなわち「永続性」の証明こそが、プロジェクトの成否を分ける最大の関門である。本章では、Verraなどの国際基準が求める「100年ルール」を軸に、生物学的アプローチにおける炭素貯留のメカニズムと、その実務的な課題を深掘りする。
【1. 科学的原理と国際的文脈】
海藻などのバイオマスに固定された炭素が、永続的に貯留される主要な経路は二つ考えられている。一つは、枯死した藻体の一部が分解されずに海底の堆積物中に埋没し、数百年から数千年のスケールで隔離される経路。もう一つは、特に沖合で養殖・設置された場合、藻体が深海(一般的に水深1,000m以深)へと沈降し、低温・高圧・貧酸素の環境下で分解が極端に遅くなり、長期間炭素が隔離されるという経路である。
Global Context (国際動向):
Ocean Panel(持続可能な海洋経済のためのハイレベルパネル)などの国際的な議論では、この深海への炭素輸送(生物学的カーボンポンプ)のポテンシャルが注目されている。しかし、その定量的な評価は依然として科学的な挑戦領域である。炭素が深海で具体的にどのような運命を辿るのか、微生物による分解速度、海洋循環による再浮上リスクなど、不確実性も大きい。そのため、国際的な科学コミュニティは、トレーサーを用いた追跡調査や深海探査を通じ、この「炭素の最終到達点」の解明を急いでいる。
【2. カーボンクレジット化の論点】
生物学的アプローチによるクレジット創出は、「永続性」という一点にその困難さが凝縮されていると言っても過言ではない。
- 永続性 (Permanence) と100年ルール: VerraがVCSプログラムで定めるように、多くのクレジット基準では、貯留された炭素が最低100年間は大気から隔離され続けることを要求する。この「100年」という期間を、自然のプロセスに委ねる海藻プロジェクトでどうやって証明し、保証するかが最大の論点となる。
- MRVの困難さ: 深海に沈んだ炭素量を直接的かつ継続的にモニタリングすることは、技術的にもコスト的にも極めて困難である。そのため、現在はシミュレーションモデルや環境DNA分析、堆積物コアのサンプリングなどを組み合わせた間接的な推定手法が主流だが、その精度と検証可能性が常に問われる。
- リバーサルリスク(再放出リスク): 海底環境の変化(地滑り、強い底層流、生態系の変化など)によって、一度貯留された炭素が再び大気中に放出されるリスク(Non-permanence risk / Reversal)を評価し、管理しなければならない。これに対し、Verraなどの制度では、発行クレジットの一部を「バッファープール」に預託し、万が一の再放出時に備えるリスク管理策を義務付けている。
【3. 日本市場の展開と政策環境】
日本国内においても、永続性の担保はJブルークレジット制度などで最重要視される項目である。特に、日本の沿岸域は海流が複雑で海底地形も変化に富むため、炭素が安定して堆積・貯留される場所の特定(ポテンシャルマップ作成)が急務となっている。
Japan Focus (日本市場文脈):
JAMSTECや大学の研究機関は、日本海溝などの深海域を対象に、リモートセンシングや無人探査機(ROV)を用いて、藻類由来の有機物がどのように沈降・堆積しているかの調査を進めている。また、実証プロジェクトレベルでは、比較的穏やかで堆積が進みやすい内湾域において、アマモ場の再生などを通じて底質中の炭素貯留量を測定する試みが行われている。しかし、沖合での大規模な海藻養殖から深海への炭素隔離までを一貫して定量評価し、クレジット化に至った国内事例はまだ存在しない。永続性を証明する科学的知見の蓄積と、低コストなMRV技術の開発が、日本におけるこの分野の成長の鍵を握っている。
【4. 経済的実行可能性とリスク】
永続性の証明は、プロジェクトの経済性に直接的な影響を与える。
- コスト構造: 深海モニタリングにかかる観測船や特殊機材の費用は莫大であり、プロジェクトの採算性を圧迫する最大の要因となりうる。モデルによる推定に頼る場合でも、そのモデルの妥当性を検証するためのデータ取得コストは無視できない。
- 収益性への影響: リバーサルリスクが高いと判断されれば、バッファープールへの預託率が高まり、事業者が手にするクレジットの実質的な量が減少する。これは収益性の低下に直結する。
- リスク要因: 科学的な不確実性そのものが事業リスクとなる。将来、新たな科学的知見によって、これまで永続的だと考えられていた貯留メカニズムが否定された場合、発行済みクレジットの価値が失われる可能性もゼロではない。このため、投資家やクレジット購入者は、永続性の科学的根拠が強固なプロジェクトを強く選好する傾向にある。
【5. 今後の展望と次ステップへの布石】
炭素を体内に蓄え、それを長期的に隔離するというアプローチは、ブルーカーボンの本質である。しかし、見てきたように、その永続性を「証明」する道のりは平坦ではない。深海への沈降という自然プロセスに依存する方法は、ポテンシャルは大きいものの、MRVとリスク管理の観点から実用化にはまだ時間を要するだろう。
では、もし海藻を沈めるのではなく、積極的に「利用」した場合はどうだろうか。収穫した海藻を食料や燃料、あるいは建材のような耐久消費財に加工すれば、炭素は製品として社会に固定される。このアプローチは、MRVの課題を解決し、新たな収益源を生む可能性を秘めている。しかし、それは同時に「その製品利用による排出削減は、誰の貢献なのか」という、カーボンクレジットにおける「二重計上」という新たな論点を生む。この課題の探求が、次章のテーマとなる。
【ブルーカーボンクレジット創出への接続】
- 認証スキームとの関係:
本章で詳述した概念は、VerraのVCSスタンダードにおける「Permanence (永続性)」の要件に直結する。プロジェクトが100年間の貯留を達成できるか、そして万が一の再放出(リバーサル)に対するリスク管理計画(バッファープールへの拠出など)が適切に設計されているかが厳しく評価される。 - クレジット発行プロセスにおける役割:
この知識は、プロジェクトのリスク評価、およびモニタリング計画の策定において中心的な役割を果たす。特に、永続性の証明手法とリバーサルリスクの定量化は、第三者検証機関による審査で最も重要視される部分の一つである。
次ステップとの関係:
本章で提示した「永続性の証明の難しさ」という課題は、次章で扱う「カスケード利用」という代替アプローチの重要性を示唆している。バイオマスを沈めるのではなく、製品として利用することで炭素を固定する考え方は、永続性の問題を回避できる可能性がある一方、「二重計上(Double Counting)」という新たなハードルをもたらす。