はじめに
京都議定書が創設した国際炭素市場のポートフォリオの中で、化石燃料の燃焼を削減するプロジェクトとは一線を画し、「自然の力」、特に森林などが持つ二酸化炭素(CO2)の吸収能力を、初めて国際的な目標達成の勘定に入れた単位が「吸収単位(Removal Unit, RMU)」です。これは、先進国の国内における土地利用・土地利用変化及び林業(LULUCF)活動から生まれた、極めて重要かつ複雑なクレジットでした。
本記事では、このRMUを「国際開発と気候変動ファイナンス」の視点から深く掘り下げます。RMUが、いかにして自然の吸収源の役割を国際的な気候変動レジームに組み込んだのか。そして、その算出を巡る科学的な不確実性や会計ルールの複雑さが、市場の信頼性(Integrity)にどのような挑戦を突きつけ、今日の「自然由来の解決策(Nature-based Solutions, NbS)」を巡る議論にどのような教訓を残したのか。その歴史的意義と現代への遺産を解説します。
用語の定義
一言で言うと、RMUとは**「京都議定書の下で、先進国(附属書I国)が、自国内の森林管理や植林といった土地利用活動を通じて、純粋に吸収した温室効果ガス(GHG)の量を認証したクレジット」**のことです。
1 RMUは、1トンの二酸化炭素換算(tCO2e)の純吸収量に相当します。他のクレジットと根本的に異なるのは、その創出メカニズムです。
- CERやERUが、特定の「プロジェクト」の排出削減量を認証するのに対し、RMUは国全体のLULUCFセクターにおける排出と吸収を差し引きした「ネット(純)の吸収量」を、国家レベルで算出し、クレジット化したものです。
- AAUが事前に割り当てられる「排出枠」であるのに対し、RMUは約束期間中の実績に基づいて事後的に算出され、国の総排出枠(AAU)に追加される「ボーナス」のような役割を果たしました。
重要性の解説
RMUの歴史的重要性は、気候変動の緩和策として、産業部門での排出削減だけでなく、生態系による「炭素の吸収・貯留(シンク)」という側面を、初めて国際的な法的枠組みの中に明確に位置付けた点にあります。
これは、国家の「炭素会計」に、これまで存在しなかった新しい勘定科目を追加する試みに例えることができます。各国は、工場や発電所からの排出という「支出」を減らすだけでなく、自国の森林を適切に管理・育成することで「収入(炭素吸収)」を得て、国家全体の炭素収支を改善できるようになりました。
この仕組みは、日本やカナダ、ロシア、北欧諸国といった、広大な森林面積を持つ先進国にとって、京都議定書の厳しい削減目標を達成するための、極めて重要な柔軟性措置となりました。それは、国内の林業政策や土地管理に気候変動という新たな価値基準を与え、持続可能な森林経営へのインセンティブを生み出す可能性を示したのです。
仕組みや具体例
RMUの創出は、京都議定書の第3条3項および3条4項に定められた、特定の土地利用活動の会計ルールに基づいて行われました。
- 対象となる活動:
- 第3条3項(義務的): 1990年以降に行われた「新規植林(Afforestation)」「再植林(Reforestation)」「森林減少(Deforestation)」活動によるGHG吸収・排出量の変動。
- 第3条4項(任意的): 各国が選択した「森林管理(Forest Management)」「耕作地管理(Cropland Management)」「牧草地管理(Grazing Land Management)」などの活動。
- 純吸収量の算定: 約束期間中、これらの活動によるGHGの総吸収量から、同活動による総排出量を差し引き、国としての「純吸収量」を算出します。
- RMUの発行: 算出された純吸収量に相当するRMUが、国の登録簿(ナショナル・レジストリ)に発行されます。このRMUは、国の総排出枠(AAU)に加算され、目標遵守のために使用したり、他の先進国に売却(排出量取引)したりすることができました。
具体例:日本のケース
日本は、京都議定書の第一約束期間(2008-2012年)において、-6%という削減目標を達成する必要がありました。この達成戦略の中で、国内の森林吸収源の活用は極めて重要な柱でした。日本政府は、議定書のルールに基づき、適切な管理が行われている国内の森林(主に人工林)によるCO2の純吸収量を算定し、これをRMUとして計上しました。この森林吸収による貢献は、日本の目標達成において、産業界の省エネ努力や海外からのクレジット購入と並ぶ、大きな役割を果たしたのです。
国際的な動向と日本の状況
RMUは京都議定書に固有の単位であり、パリ協定の枠組みには存在しません。しかし、その運用を巡る激しい交渉と科学的論争は、今日の気候変動ファイナンスに深い教訓を残しています。
国際的な動向(負の遺産と教訓):
RMUの導入は、その会計ルールの複雑さと科学的な不確実性を巡り、京都議定書の交渉の中でも最も困難な論争の一つでした。
- 科学的な不確実性: 広大な森林の炭素蓄積量を、国全体として正確に測定・報告・検証(MRV)することの技術的な難しさ。
- 永続性(Permanence)の問題: 森林火災や病虫害によって森林が失われた場合、一度計上した吸収量(RMU)が再び大気中に放出されてしまうリスクをどう扱うか。
- 会計上の「抜け穴」: 森林管理の会計ルールが、政治的な交渉の末、一部の国に有利な「抜け穴」となり、実質的な追加の努力を伴わない吸収量が計上される「隠れたホットエア」になっているのではないか、との強い批判がありました。
これらの課題は、特に途上国や環境NGOから、先進国が国内産業の厳しい排出削減を避け、不確実な「森の勘定」に頼るための手段ではないかと見なされる一因となりました。このRMUを巡る不信感と論争の経験は、パリ協定下で、途上国の森林保全(REDD+)や自然由来の解決策(NbS)の成果を国際的に取引する際には、いかに信頼性が高く透明なMRVシステムを構築するかが死活的に重要であるという、貴重な教訓となっています。
日本の状況:
前述の通り、日本は京都議定書の目標達成において、RMUに大きく依存しました。この経験は、国内の森林整備や林業活性化政策に影響を与えましたが、同時に、国際社会における日本の気候変動対策が、国内の吸収源に過度に依存しているとの評価にも繋がりました。
メリットと課題
RMUは、気候変動対策に新たな次元を加えましたが、その設計には多くの課題が内在していました。
メリット:
- 吸収源の役割を認知: 生態系が持つ炭素吸収の役割を、初めて国際的なコンプライアンスの枠組みに組み込んだ。
- 国内政策へのインセンティブ: 先進国に対して、持続可能な森林管理や土地利用への関心を高めるインセンティブとなった。
- 目標達成の柔軟性: 排出削減義務を負う国々に、目標達成のための追加的な手段を提供した。
課題:
- 深刻な信頼性(Integrity)の問題: 科学的な不確実性と、政治的に妥協された会計ルールが、その環境十全性に対する根強い疑念を生んだ。
- 削減努力の代替: より困難でコストのかかる産業部門での排出削減努力を回避する手段として使われたとの批判。
- 途上国への負のインパクト(間接的): 先進国が国内のRMUに依存することで、途上国の排出削減プロジェクトから生まれるCERへの需要が減退し、途上国への資金・技術移転が阻害された可能性がある。
まとめと今後の展望
RMU(吸収単位)は、気候変動対策の歴史における、自然の役割を経済的な枠組みに統合しようとした、野心的かつ不完全な最初の試みでした。
要点:
- RMUは、京都議定書の下で、先進国が自国内の森林等の吸収源活動によって得た、純吸収量をクレジット化したものである。
- 国際的な気候変動レジームに、初めて「シンク(吸収源)」の概念を導入したが、その会計ルールには多くの課題があった。
- 科学的な不確実性や政治的な妥協は、その信頼性を巡る深刻な論争を招き、「抜け穴」との批判を受けた。
- RMUの運用から得られた教訓は、現在のパリ協定下での、より信頼性の高い自然由来の解決策(NbS)のルール設計に活かされている。
RMUの物語が現代に伝える最も重要なメッセージは、自然の力を気候変動ファイナンスに活用する際には、その科学的基盤の頑健さと、会計ルールの透明性が、市場全体の信頼性を支える生命線であるということです。私たちが今日、衛星技術やAIを駆使して森林炭素のモニタリング精度を高め、ICVCMのようなイニシアチブが厳格な基準を設けようとしているのは、まさにRMUが残した歴史的な宿題に、より誠実な答えを見つけようとする努力に他ならないのです。